創世記解説

 旧約聖書が新約聖書の前置きであるように、創世記は旧約聖書の前置きにあたる。さらに厳密には、律法であるモイゼ五書の前置きである。五書のうち、一貫して歴史を物語るのは、本書だけであり、他の四書に見られるような律法のまとまった部分や、その一部も見られない。しかしながら、本書には、イスラエルの基本的律法、すなわち安息日(2:2-3)、いけにえ(4:3-4 8:20)、十分の一献納(14:20 28:22)、割礼(17 21:4)、ういごのあがない(22章)、なかんずく最も基本的な律法である神に対する服従(2:17)を物語る歴史的出発点、または先例が見られる。

名称、内容、形式

 本書のヘブライ名は、本文のはじめのことば「はじめに」という意味の語「ベレシス」である。著者は本書中の歴史の出発点を、この語で示している。その歴史は創造から始まって、エジプトにおけるヤコブとヨゼフの死に及んでいるが、趣を異にする二つの部分、すなわち (一)アダムからアブラハムの父テラーまでの太古の歴史(1−11章)と、 (二)太祖アブラハム、イサク、ヤコブおよびその十二人の子の歴史(12-50章)とから成っている。このヤコブの子らはイスラエル十二支族の祖となり、一つのイスラエル族としての成立は出エジプト記で始まる。

ヨーロッパ語による本書名は、そのほとんど大部分が、本書のギリシャ名「ゲネシス」から取ったものである。この「ゲネシス」という語は、本書の内容、すなわち事物の起源と選民の祖のおこりを示している。 本書はアダムの傍系子孫を順次に取り除いていく形式をとっている。この形式にしたがえば、本書を十の「トレドス」によって分けることができる。この語をギリシャ語に訳せば「ゲネシス」となり、本書のギリシャ名と同じである。「トレドス」の根本的意味は「産出」であるが、左記の十の「トレドス」の表からわかるように、確実な意味は箇所により異なり、十の場合に全部あてはまる訳語は一つもない。いちばんよく用いられる訳語は「系図」である。また「トレドス」が「歴史」を意味する場合もある(1、3、10)。十の「トレドス」は次のとおりである。

 この七つの「系図」のうち三つ(4、7、9)は、選民の歴史から取り除かれていく太祖の傍流子孫の系図をえがき、残りの四つ(2、5、6、8)はアダムからヤコブまでの直系図をえがいている。このヤコブはイスラエルという名に改められ、選民の父となる。「もろもろの民が服従する者」、すなわち約束されたメシアが「来るまで」(49:10)、家系が続くというのは、ヤコブの子ユダを通じてである。キリストは新しいアダムとなる。そしてキリストにおいて、すべての者、すなわち選民も取り除かれた者らも差別なく、再結合されるであろう。またキリストにおいて、われわれは宇宙の基が定められる以前から、御父によって選ばれたのである。その御父の目的は、いっさいのもの、すなわち天にあるものも地にあるものもことごとく、キリストにおいて一つに帰せしめることである(エフェソ1:4 10参照)。本章はそもそもの起源から始まっているが、終局、すなわちキリストヘと向かっている。

区分

 キリストの来臨は選民によって準備され、選民の準備はアブラハムの召出しから始まる。このアブラハムの召出しという出来事は、創世記の長いほうの部分、すなわち太祖の歴史(12-50章)のはじまりとなっている。この部分は三つに区分され、これを第一の部分といっしょにすると、創世記はだいたい平均した次の四つの部分に分けられる。

創世記と歴史

 第一部(1-11章)は特殊な歴史であるから、あとで特別に考察することにする、ここでは、第一部は太祖の歴史を物語る第二、三、四部の前置きであると言えば、じゅうぶんであろう。創世記が一般歴史と関係をもつのは、アブラハム、イサク、ヤコブのころから始まる。アブラハムの移住は紀元前一八五〇年ごろ、すなわちバビロンのハムラビ王が一六九〇年ごろ、あの有名な法典を発布する約百五十年前のことだということになっているが、この年代は正確だとは言えない。最近の研究(R. Rasco. "Migratio Abrahae circa annum 1650." ''Verbum Domini'' 35 (1957) 143-157)からは、二世紀あとの一六五〇年ごろのことになりそうである。そうだとすれば、アブラハムはハムラビよりすこし後の人物ということになる。

 しかし、この太祖の歴史もまた、今日のような歴史とは異なり、最初は物語られ、そして口伝として伝えられ、数百年後に書きしるされたものである。太祖の歴史の性格を理解するには、それが、(一)家族史であること、(二)通俗史であること、(三)宗教史であることを、心に留めておく必要がある。

 まず第一に、太祖の歴史は代々続いて口で伝えられた家族史である。家族が多くなり、分散していくにつれ、この家族史は非常に多くの別々の言伝えとなっていった。もちろん出所はみな同じであるが、細部は少し異なる。12:10-20と20章と26:6-11の三つの記事は、おそらくこの例となりうる。26章注4で、神がサラまたはレベッカの操を、どのようにして守られたかを物語る三つの記事の関係を述べた。各伝承の著者および創世記の著者ならびに編者は、彼らが語ったこと、あるいは書きしるしたものの性質と価値を悟っていた。また彼らから話を聞いたり、あるいは彼らの書を読んだ同時代の人々も、このことを悟っていた。われわれもまた、このことを悟る必要がある。というのは、彼らは神感によって、われわれのためにも語り、また書きしるしたからである。

 第二に、太祖の歴史は通俗史である。通俗史とは、興味あるものを興味ある方法で記録したものである。特に興味のないことがらは、たとえそれが歴史上きわめて重要なものであっても――われわれはそれを歴史とみなすのだが――見落される。たとえば、著者は自分がしるした記事の中で重要な地位に立つどのファラオの名もあげていない。ファラオはだれのことであるかを、同時代の人々は知っていたので彼らに知らせる必要は無かったのである。言伝えはこういうふうに伝えられた。他方、人名、出来事、自然物についての通俗的な説明が一般に興味をもたれた。これらも代々通俗的なものとして受け継がれていった。したがって、著者はためらうことなく、一つの名についての二つの相異なる説明を並べ、時には、「今日でも………と言われている」という一句をつけ加えている(22:14および注3参照―名についての通俗的説明の例としては29章注11:13-16 30章注2-10参照―自然物については19章注10参照)。これらの通俗的説明は適切に述べられ、また当時の人々もそれだけで満足していた。著者はそのようなことがらについての批判のことは少しも考えず、ただ通俗的説明として記録している。著者が主張するつもりでなかったことがらと、もしわれわれがせんさくして、これを批判するならば、われわれは著者に対してはももろん、われわれ自身をも傷つけることになる。

 第三に、太祖の歴史は宗教史である。著者はわれわれに、ただ歴史のための歴史を物語ることに興味をもっていない。彼が興味をもったのは、神がご自分の民のために何をなされたか、また選民はどのようにそれにこたえたか、という記録である。この関係は続いてなされる契約と約束の中にあらわれる。まず、アダムが罪を犯したあと、彼に未来における救世が約束される(3:15)。この契約のしるしとなったのは女とその子孫で、このことはイザヤがアカズ王に与えた「しるし」を思い出させる(イザヤ7:14)。マテオ1:23ならびにガラチア4:4、黙12章参照。

 次にノエとの準備的契約がある。このしるしはにじで、すべて肉からなるものを滅ぼす洪水はもう二度とない(9:8-17)という約束をともなっている。

次にアブラハムとの契約がある。この契約は土台のような性格をもつ、神はこの契約の中でアブラハムを「多くの民族の父とし」、「カナアンの全地を永久の所有として、彼とその子孫に与え、彼らの神となる」(17章)と約束されている。このしるしは割礼である。

 この契約のときにアブラハムとその子孫に約束されたことは、イサクとヤコブにも繰り返されている。創世記の歴史は、ますます唯一の神と一民族についての記録となり、「律法」の「基礎」であり、全旧約聖書の「柱石」であるシナイの契約へと向かっている。この契約のしるしは安息日で、十戒がその規範となっている。新約によって代られるまで効力があったのは、この契約である。律法はわれわれをアブラハムの子孫であるキリストへ導く指導者である(ガラチア3:24)。このアブラハムにおいてすべての民は祝福される(ガラチア3:8-16)。人を救う洗礼の水をもつキリストの教会は、水の上のノエの箱船に前表されている(ペトロ一書3:20-24参照)。キリストご自身は、神がアダムに約束されたとおり、へびの頭をふみつける女の子孫である(3:15)。

1-11章の「歴史」について

 さて第一部を特別に考察しよう。五書の前置きである創世記は、すでに書きものとなっていた律法の序文としてあとで書きしるされたものであろう。これと同様に、第一部も創世記の前置となっているので、おそらく一番最後に書きしるされたものと思われる。五書が基礎を置いている史実は、エジプト脱出とシナイの契約であり、創世記が基礎を置いている史実は、アブラハムの召出しおよび神とアブラハムの契約である。どちらの史実においても、罪によって人は堕落していた。しかし神ヤーウェのみは、ご自身が召出し選ぶものを、救うことができる。この型は約束された救世主の来臨までくり返される。

 イスラエル人は――キリストのことばを借りて言えば――「アブラハムが存在する以前に」(ヨハネ8:58)、どういう事があったかについて、常に知りたい気持をもち、またこれについてある程度の解答をもっていたにちがいない。このことは、どの民族でも同じことである。しかしながら、他民族の場合と異なり、第一部に含まれているイスラエル人の解答は、神感によるものであり、したがって真実である。過去の出来事を誤りなく物語っているので、ほんとうの歴史ではあるが、われわれが普通考える歴史とは全く趣を異にする特殊のものである。さきに引用したスアー枢機卿へあてた聖書委員会の書簡は、「創世記第二部の文体についての問題はモイゼ五書の構成に関する問題よりも非常に複雑でわかりにくい」と述べている。また専門的聖書注釈にあたっては、「古代の近東諸国の人々が用いた文学上のくふう、彼らの心理、表現方法、さらに歴史の真実性に対する彼らの見解にいたるまで、綿密にしらべる」必要があるとも言っている。

 他民族における事物の起源についての説明は、多神教を前提としているので、神話として知られている。これらの神話は真実であるはずがない。神は唯一であるからであろ。しかし第一部は、欺くことも欺かれることもありえない唯一の神のことばであるから、真実である。要するに、神は「アブラハムが存在する以前に」御自分がなされたことがらを、第一部の中でわれわれに語っておられるのである。神はこの歴史をあらわすにあたり、当時の人々が用いていた文体を採用された。

 神は現代のわれわれの考え方で、この記事を直接モイゼ、アブラハム、その他、彼ら以前の者たちに啓示することができたであろう。しかし、この部分を除くモイゼ五書がどのようにして書かれたかを考えてみると、そういうことはありそうもないことである。また、われわれは普通の歴史の場合と同じような考え方で、まず神が最初の人間にそもそもの世の初めのことだけを語り、その人間から第一部が語り伝えられたものだ、と想像しがちである。しかしこれもありそうもないことである。なぜなら、最初の人間から一万年ないし十万年も経過しているし、また聖書がわれわれに物語っているとおり、メソポタミアにおけるアブラハムの先祖は、唯一の神ではなく多神をまつっていたからである(ヨシュア24:2)。彼らが、創世記にしるされているような一神論的な話を、そのまま変えずに語り伝えるということは、できそうもないことである。それでは、どこから第一部は来たのであろうか。神が著者を通じて述べようと望まれたことがらを、どのようにして著者は知ったのであろうか。

 創造や洪水の話を例にとり、これとメソポタミア神話とを比べてみると、その背景が非常に類似していることに気がつく。しかし聖書記事のほうには、神々の人間的気まぐれな行為がしるされていないだけでなく、多神論的あとかたもない。第一部が、現代的意味においては、「歴史」として格づけされないことはたしかであるが、神話でもないことは、もっとたしかである。アブラハムは父テラーに連れられてメソポタミアから来た。したがって、本来の背景がメソポタミアのものであることは、無理もないことである。おそらくメソポタミアにおける数ある物語のうちのあるものも、もちこまれたことであろう。しかしそういう場合には、ラケルによってメソポタミアから持ちこまれた父の偶像(31:19 30-35)が。シュケムで捨てられたように(35:2-4)、きっとそれらの物語も捨てられたにちがいない。6:1-4中のある語句は、このような物語から借りたものかもしれない(6章注1参照)。

 他民族における事物の起源についての説明の背景と、イスラエルにおけるそれとが類似しているように、おそらく先史時代についての推理法、すなわち宗教的考えに照らして現在の事実から推理する方法も、類似していたことであろう。しかし他民族のとった方法は、誤った宗教的考えならびに事実についての誤った解釈を出発点としたため、必然的に誤った神話が生れた。これに対し、イスラエルにおける著者たちは神感のもとに、正しい信仰ならびに事実についての正しい解釈を出発点としたため、創造と事物の起源についての真理に到達することができた。この方法は、今日の科学者が恒星、惑星、衛星の構成に関する「歴史」を考え出す時にとった方法にたとえることができる。しかしながら、科学者の考え出す「歴史」は、往々にして誤っていることがある。特に人間の進化については、後に誤りであることが判明した。本書中の神のことばに誤りがあろうはずがない。

神感のもとに著者たちが到達したこれらの真理は、また同様に神感によって、古代の他民族が事物の起源を説明する時に用いた文体とあまり異ならない形の中におさめられ、当時の人々が理解しやすいように表現されている。ちょうどカナにおいてキリストのことばによって満たされた水がめの中身が、いつもの中身と全く異なるように(ヨハネ2章)、両者の文体は同じであるが、内容は全く異なる。

カナにおける水がめの中身は良酒に変ったが、入れ物は水がめのままであった。著者は物質世界について誤った考えを多く持っていたが、神は著者のもっている概念をそのまま採用された。著者は、地球が平らなものであり、また天は堅い板で、その上に水をたくわえ、雨は水門から降るものと思っていた(巻末第1図参照)。当時の人たちはみなそう思っていたのである。もし著者が、われわれが知っているように、あるいは想像するように物語れば、当時の人々はだれもそれを信じなかったであろう。そこで、神は「へりくだり」、ご自分が教えようと望まれた永遠の真理に、当時の衣を着せられた。神の民であった当時の人々は、こういうふうに真理を理解した。神の民であるわれわれも真理を理解すべきである。

しかしながら、第一部には特別な記事が一つある。これに並行する記事は、聖書以外の文献には全然見られない。すなわち2-3章にしるされている「人間の堕落」である。その背景がメソポタミア的であることは事実であるが、男と同格としての女の創造、誘惑と堕落の描写、特に救世の約束は独特のものである。これは、唯一の神だけを信ずる者だけがいだく質問に答えたものである。すべてのものが神から来て、しかも神が全善であるならば、悪はどこから来るのであろうか。悪は人間から来るにちがいない。人間は自由意志をもち、罪によって自由意志を乱用し、悪を生むことができるからである。またすべての人は原罪の結果としての悪と、罪への傾きとを受け継ぐので(8:21「人の心は若い時から悪に傾いている」参照)、この罪は人類の始祖である最初の人間から来たにちがいない。著者がこの事実を記録するにあたって選んだ細部の記事の意義については、注の中で論ずる。聖書は神感によるものであるから、その中にしるされた根本的史実は真正のものであることを、われわれは知っている。

創世記第一部の特別考察を経るにあたって、その中にしるされている比較的重要な根本的史典を簡単に参考としてあげることにしよう。

救世の型

 創世記第一部は人類の起源を述べると同時に、人類に対する神の攝理の型を示している。この型は歴史を通じてくり返されるであろう。この型の循環は神から出る本来の善、人間から出る破滅的罪悪、神の全書と慈悲による救いである。すなわち1-3章には創造の本来の善、次に原罪と楽園からの追放と死とがしるされているが、救世の約束が織り込まれ、これで一つの循環が終っている。次の循環は、4章のカインとその子孫の罪で始まり、洪水を物語るが、ノエの救いで終わっている(6-9章)、11-12章はバベルの人々の罪と離散、ならびに アブラハムの召出しがしるされている。この型はまだ続く。すなわちロトはソドム滅亡から、 ヤコブは兄エサウの怒りから、ヨゼフは兄たちの裏切りとエジプトの獄舎から、それぞれ救われる(これらを主題とした知10章参照)。すべてこれらのことは、イスラエル人がエジプトにおける奴隷生活から解放されるということの前置きとなっている。そして終局的には、最初の人間アダムが最初に犯した罪のあとで約束を受けたとおり、キリストによる救世へ向かっている。もう一度繰り返すが、創世記は、第一著者である神、すなわち歴史のはじめから終わりまで同時にごらんになる神の見地によるものである。

 この見地をはっきりあらわし、またこの型を明白に示すために、聖書記者は本書前半において、神がひとりごとと言われたようにしるしている(1:26 2:18 3:23 6:37 8:21-22 11:6-7 18:17-21)。記者は後世の人のたちが考え出したような神学的用語や概念の助けを借りることなく、またそれらを用いて文章に重みをつけることもなく、普通の人々にわかりやすく書き記している。そして崇高かつ純真な心で、神の内的思想を、神が神ご自身と会話されているようにあらわしている。自己のみにて足る唯一の神と同等のものはないので、この神聖な会話は荘厳な内省の形でしるされている。この大胆な文体はいつの時代においても常に人の心を動かす力をもつものである。後世の人たちが考え出した神学上の洗練された抽象的な文章では及ばないところである。

創世記中の各伝承の特徴

 創世記はその綜合計画と構成の点で、驚くべき統一が見られるけれども、モイゼ五書解説で論じられたとおり、三つないし四つの伝承を織りあわせたものである。次に、これらの伝承の特徴を簡単に述べてみよう。

 ヤーウェ伝承は創世記を支配するものである。その語調は劇的かつ通俗的で、神について物語る場合、擬人法を用い、直接的である。本伝承は事物の起源に興味をもち、第二創造史で始まる(2-3章)。これは第一創造史よりも古い。本伝承による代表的記事は「エジプトにおけるアブラハム」(12:19-20)と「マムレにおける出現」(18章)であろう。

 エロヒム伝承は、創世記にあらわれているように、アブラハムの記事から始まる(15章注1参照)。本伝承が事物の起源についての物語をもっていたかどうかは知られていない。もしもっていたとすれば、その物語はヤーウェ伝承にそって削られたのであろう。またヤーウェ伝承と合併される時でも、その組み合わされる部分の細部の記事は、若干削られたものと思われる。その語調は比較的じみで、神を普通の人間の姿ではなく、夢の中に出現させ、あるいは夢の中で語らせ、非常にうやうやしく物語っている。その代表的記事は「アブラハムのゲラル滞在」(20章)である。

 司祭伝承は、年表、祭儀、おきてに関心をもち、他の伝承よりも非常に発達した神学を背景としている。特に第一創造史(1章)におけるつりあいのとれた学問的記述の中にそれがあらわれている。創世記の中に十の「トレドス」とさしこんで、本書に骨組を与えているのは、本伝承である。その代表的記事には、1章のほかに、「割礼と契約」(17章)と「太祖の墓」(23章)がある。

 五書の出所についての一般考察のところで述べたように、創世記には三つの主要伝承(申命伝承が創世記に用いられていないことはもちろんである)があるという仮説だけでは、解決できない難問が残るので、最近ヤーウェ伝承をさらに細かに分類し、第四伝承を引き出そうという試みがなされた(このようなヤーウェ伝承の再分については8章注4、9章注3、38章注1参照)。ヤーウェ伝承から引き出されたこの別個の伝承は、俗間伝承と呼ばれている(別の基準によってひき出されたものはセイル伝承)。俗間伝承であるからには、特徴の点で、司祭伝承と正反対の極端に立つものと思われる。また俗間伝承がいちばん古く、司祭伝承がいちばん新しいという点でも、両者は両極端に立っている。このような別個の伝承を支持する学者たちの中で一般に、本伝承によるものだとみなされている記事は、「人類の堕落」(6:1-4)、「カナアンのろい」(9:20-27)、「バベルの塔」(11:1-9)、「ソドムの滅亡」(19章)、「ディナの被害とシュケム襲撃」(34章)、「レウベンの醜行」(35:21-22)、「ユグとクマル」(38章)である。最後に、語調と特徴について、本伝承によるとされている「イサクのゲラル滞在」(26:6-11)と、ヤーウェ伝承による「エジプトにおけるアブラハム(12:10-20)と、エロヒム伝承による「アブラハムのゲラル滞在」(20章)とを比較してみるとおもしろい(26章注4参照)。

 前述の三つないし四つの伝承のどれにも属していないとみられている記事がある。しかしながら、どの記事がそうであるかについては、その他すべての問題の場合よりも、学者によって意見がまちまちである。いちばんよく論じられている記事は、「四王の遠征」(14章)、「エサウの系図」(36章)の部分、「ヤコブの祝福」(49:2-27)である。最近この範囲にはいるものだと提唱されているもう一つの記事は「カインとアベル」(4:2-16)である。

 創世記の史実性と出所の徹底的研究から得られる一つの確実な結論はこうである。すなわち最も複雑困難なこれら諸問題の全面的解決の日は――教皇と聖書委員会はそれを期待してもさしつかえなかろうと言われている――まだ到来していないということである。

ヘブライ語原文と古代語訳本

 現存の創世記のヘブライ語原文は、概してよく保存されてはいるが、ところどころそこなわれている。本訳の基礎として、必要かつ可能な場合、そういう箇所を原文批判の原理にしたがい、はっきりしたものに修正した。これらの修正の根拠となった古代写本や古代語訳本は、原文批判の中でそれぞれの場合について述べる。

 注の中で述べる「現存(ヘブライ語)原文」とは、ユダヤ人ラビたちによって公式に伝えられた原文のことで、「マソラ」(おそらく「伝統」の義)学者によって母音符号がつけられ、アクセント、字数、節数、句読点などが一定されている。マソラ学者とはユダヤ聖書評釈者のことで、彼らは第七世紀から第九世紀までに、それまであった原文の差異をすべて除き、ラビたちの言伝えに基づいて一定のものにしてしまった。それ以前の原文は子音文字だけから成っていた(ある場合に母音の働きをする子音もある)。サマリア人が保存している原文というのは、このような子音だけのもので、注の中では「サマリア五書」として出ている。これはユダヤ人のモイゼ五書の最後の編集よりも少しあとのものである。最近、死海の近くで発見された写本も子音文字だけのものである。創世記の全文は発見されなかった。次に述べる古代語訳本の基礎となったのは、このようなヘブライ語の子音だけの写本である。

 注の中で述べる「ギリシャ語訳」とは「七十人訳聖書」のことで、伝説では七十二人の学者がアレキサンドリアにおいて七十二日間に翻訳したものとなっている。モイゼ五書のこのギリシャ語訳は、おそらく紀元前第三世紀になされたものである。紀元前第二世紀にギリシャ語に訳されたものには、アキラ訳、シンマクス訳、テオドチオン訳がある。

注の中で述べる「ラテン語訳」とは「ウルガダ(通俗)訳聖書」のことで、聖ヒエロニムスが第四世紀の終わりごろ、ベトレヘムにおいてヘブライ語から訳したものである。「古いラテン話訳」は、聖ヒエロニムスより少くとも二世紀前にギリシャ語訳聖書から飜訳されたもので、「旧ラテン訳」とも呼ばれている。

 「シリア語訳」とは「ぺシッタ」または「ぺシット」(「通俗」の義)訳聖書のことで、第二世紀ごろヘブライ語から訳されたものであるが、後に七十人訳聖書の影響をうけている。

 最後に、「アラム語訳」とは種々の「タルグム」(翻訳)のことで、ユダヤ人の日常生活からヘブライ語が影をひそめ、アラム語が俗語となってから、そのアラム語で説明されたものである。その根拠となっている口伝は、第三世紀ごろ書きしるされたものよりもはるかに古い。