約翰傳福音書
元始言靈あり言靈は神とともにあり言靈は神なり
この言靈ははじめに神とともにあり
よろづのものこれにてなれりなりしものはこれにあらでひとつとしてなりしものはなし
これに生ありしいのちは人のひかりなりし
光は暗にてりて暗はこれをさとらざりし
さて神のつかはれしヨハンネといふものあり
かれは證のためひかりにつきてあかしをたてみなかれによりて信ずるためにきたれり
かれはそのひかりにあらざれどもひかりについて證をたつるためにきたりし
それ世界にきたりてもろもろの人をてらすものはまことのひかりなり
かれ世界にありて世界もかれにつくられしに世界の人これをしらず
かれおのれの國にきたりしに國の民これをうけいれず
かれをうけその名を信ぜしものは神の子となる權をたまへり
これは血脈にもよらず性質にもよらず人のこころにもよらずただ神によりてうまれしなり
それ言靈人になりて惠とまこととをみててわれらのうちにやどりわれらその榮きを見るに父のひとりうみたまひしものの榮きがごとし
ヨハンネこれにつき證をたててよびいひけるはわれののちにきたらんものはわれにまさるそはわれにさきだつものなりといひしはこの人なり
そのみちたるよりわれらみなうけてめぐみに恩寵をくはへたまへり
律法はモーセよりさづけられめぐみとまことは耶穌キリストよりあらはせり
いまだ神をみし人あらずただ父のふところにあるひとりうまれし子はこれをあらはせり
ユダヤの人ヨハンネに汝はたれぞやと尋んとてヱロソルマよりまつりつかさとレウイの人をつかはせしときに
ヨハンネありてわれはキリストにあらずとあからさまにいへり
さらば汝はたれぞやヱリアなるかとたづぬるにさにあらずといへり汝は預言しゃなるか否とこたへり
つひにヨハンネにいひけるは汝はたれぞやわれらをつかはすものにこたへをなさんにおのれにつひてなにをいひけるや
預言しゃヱザヤのいひしとほりに主のみちをなほくせよと野によべる人のこゑありとはわれなりといへり
そのつかはされし人はパリサイの人なり
またヨハンネにとひていひけるはさらばキリストにあらずヱリアにあらず預言しゃにあらずしてなんぞ洗禮をするや
ヨハンネかれらにこたへいひけるはわれは水にて洗禮をするひとりの汝らがしらざるところのものは汝らがうちにたつ
われの後にきたりてわれにまさるるものとはこれなりその履のひもをとくにもわれはたらざるものなり
このことはヨハンネの洗禮するところヨルダンのむかふベタバラにおいてなせり
あくる日ヨハンネ耶穌のおのれにきたるをみていひけるは世の人のつみをおふ神の羔をみよ
われの後にきたるものは我にまさるそはわれにさきだつものなればなりと我さしていひし人はこれなり
われこれをしらざりしただかれはイスラヱルの民にあらはれみえんことをしれりゆゑにわれきたりて洗禮をなすなり
ヨハンネまた證していひけるはわれ聖靈鴿のごとくにして天よりくだりそのうへにとどまるをみたり
われかれをしらざりしただわれをつかはし水にて洗禮をなさせしものわれにいひけるは聖靈くだりてそのうへにとどまれるを見ばかれは聖靈にてせんれいをなすものなり
われみてこれは神の子なりと證せり
あくる日ヨハンネそのでしふたりとともにたち
耶穌のあるくをみて神の羔をみよといふ
ふたりの門徒そのいひしことをきき耶穌にしたがへり
耶穌かれらのしたがへるをかへりみてなにをたづぬるやとかれらにいふ
こたへていひけるはラビいづくにやどるやラビを譯ば師といふことなり
かれらにきたりてみよといふつひにきたりてそのやどるところをみこの日ともにやどれり時は夕ななつなり
ヨハンネのいひしをききて耶穌にしたがひしふたりそのひとりはシモンペテロの兄弟アンデレアなり
かれまづその兄弟シモンにあひかれにいひけるはわれらメツシヤ譯ばキリストといへるものにあへり
かれを耶穌につれゆく耶穌かれをみていひけるは汝はヨナの子シモンなり汝はケパと名づくべしこれを譯ばペテロなり
あくる日耶穌ガリラヤにゆかんとしピリツポにあふてわれにしたがへといへり
ピリツポはアンデレとペテロのむらベツサイダの人なりピリツポ、ナタナヱルにあひわれらモーセ律法のうちにしるしまた預言しゃたちもしるせしもの
ナザレの耶穌ヨセフの子にあへりといふナタナヱル善者がナザレよりいづべきやといへりピリツポかれにきたりてみよといふ
耶穌ナタナヱルおのれにきたるをみてかれにいひけるはみよ明白なるまことのイスラヱルの人ぞ
ナタナヱル耶穌にいかにしてわれをしるやといふ耶穌こたへてわれピリツポ汝をよばざるさきに無花果樹のしたにをるをみかけたりといふ
ナタナヱルこたへていひけるはラビあなたは神の子イスラヱルの王なるぞ
耶穌こたへて無花果樹のしたに汝をみしといひしにより信ずるかこれよりもおほひなることをみんといふ
われらもまたまことに汝らにつげんこののちに天ひらけて神のつかひたち人の子のうへにのぼりくだるをみるべしといふ
三日めにガリラヤのカナにおいて婚禮ありけるに耶穌の母ここにあり
耶穌とそのでしも婚禮にまねかれしに
ぶどう酒にことかきぬれば耶穌の母かれにいひけるはかれらにぶどう酒あらず
耶穌かれにいひけるはをんなやわれにおいてなんぞあづからんやわが時いまだいたらず
その母僕どもにかれが汝らになにごとにてもいひつけんことをなせよといふ
ユウダヤ人の潔ごとのために四五斗いりの石甕六つかしこにおけり
耶穌しもべに水をかめにみたせよといひければ口までみたせり
今くみてふるまひのつかさにわたせといひければわたせり
ふるまひのつかさ酒にかはりし水をなめしときいづれよりきたりしやしらざれどただ水をくみししもべはしれり
ふるまひのつかさ新娶をよびてかれにいひけるはおよそ人の先に㫖酒をいだし酒たけなはになればあしき酒をいだすに汝はいままでによきさけをのこせり
これ耶穌ガリラヤのカナにて竒跡をなすのはじめにしてその貴をあらはし門徒かれを信ぜり
その後耶穌その母と兄弟でしたちとともにカペナオムにいたりてながくをらず
ユウダヤ人の踰越のまつりちかくなりければ耶穌ヱロソルマへ登
殿にて牛羊鴿をあきなふものと兌錢もののをるを見
縄を鞭として衆の羊牛を殿よりいだしかねかゆるものの金をちらしその案たをし
鴿をあきなふものにこの物をとりてゆけ我父の家をあきなひのいへとすることなかれといへり
あなたの家について熱心われを蝕せんとしるされしを門徒たちおもひいだせり
ここにユウダヤ人耶穌にこたへていひけるはこのことごとをなすにはわれらになにのしるしをみするや
耶穌こたへてこの殿をこぼちなばわれ三日にてたてんといひければ
ユウダヤ人いひけるはこの殿をたつるに四十六年かかりしに汝三日にてたつるものなるや
しかるに耶穌はそのからだのみやをいひしなり
よみがへりし後でし耶穌のかれらにこのことをいはれしをおぼえて聖書と耶穌のいはれしことを信ぜり
さて耶穌ヱロソルマにて踰越のまつりの時におほくの人そのなせし竒跡をみてその名を信ぜり
耶穌人をしるゆゑにみづからをかれらにたのまず
人について證據をうくるにおよばずそは人のこころのうちをしればなり
ユウダヤ人のつかさパリサイのニコデモといふ人ありけり
かれ夜耶穌にきたりてもし神人とともならざれば汝なせしこのしるしをよくすることならずゆゑにラビ汝は神よりきたりし師なるをしれりといふ
耶穌こたへてまことに汝につげん人もしあらたにうまれずんば神の國をみることかなふまじといふ
ニコデモかれに人はや老ぬればいかにしてうまるることをえんやふたたび母のはらにいりてうまれんや
耶穌こたへてまことに汝につげん人は水と聖靈によりてうまれずんば神の國にいることかなはじといふ
肉によりてうまるるものは肉なり聖靈によりてうまるるものは靈なり
われ汝にかならずあらたにうまるべきといふを不思議におもふことなかれ
風は氣ままにふく汝そのおとをきけどもいづくよりきたりいづくへゆくをしらずすべて聖靈よりうまれしものはかくのごとし
ニコデモこたへていかでこのことあらんやといふ
耶穌こたへていひけるは汝はイスラヱルの師なるになほこのことをしらざるか
まことになんぢにつげんわれらしりしことをいひ見しことをあかすになんぢらはわれらのあかすことをうけず
もしわれ地のことをいふになんぢまこととせずんば天のことをいはばいかでまこととせんや
天よりくだり天にをる人の子のほかに天にのぼりしものなし
モーセ野に蛇をあげしごとく人の子もあげらるべし
すべてかれを信ずるものはほろびずしてかぎりなきいのちをうけんためなり
それ神の世をいつくしみたまふことはすべてかれを信ずるものはほろびずしてかぎりなきいのちをうけんためにそのひとりうまれし子をたまへるほどなり
また神は世のつみをさだめんとてその子を世につかはすにあらずかれをして世をすくはんとするためなり
かれを信ずるものをばつみにさだめず信ぜざるものははやつみにさだめりこれは神のひとりうまれし子の名を信ぜざるによればなり
つみにさだむるゆゑは光世にきたりしに人光より暗をこのむこれそのおこなひのあしければなり
およそあしきをなすものはひかりをにくみそのおこなひをいましめらるるをおそれてひかりにきたらず
まことをおこなふものはそのおこなひ神にしたがひてなすところあらはるるためにひかりにきたる
そののち耶穌でしとユウダヤの地にいたりかれらとともにかしこにとどまりて洗禮をなせり
ヨハンネもまたサレムにちかきアイノンにをりて洗禮をなせりかしこは水おほければなりひとびときたりて洗禮をうけり
そはヨハンネいまだ獄にいれられざるなり
ここにヨハンネの門徒とユウダヤ人ときよめごとにつきてあらそひあり
かれらヨハンネにきたりていひけるはラビ、ヨロダンのむかふに汝とともにありて汝のあかせしものはみよ洗禮をなすにみなかれにきたれり
ヨハンネこたへて天よりたまふにあらずんば人うくるところなし
われはキリストにあらずただそのさきにつかはれしものなりといひしと證をするものはなんぢらなり
新婦のあるものは新娶なりたちてこれをきく新娶の友ははなむこのこゑによっていとよろこびぬゆゑに我このよろこびにみてり
かれはかならずさかんになりわれはおとろふべし
上よりきたるものはみなよりすぐるるものなり地よりいづるものは地のものにて地のことをいふものなり天よりきたるものはみなよりすぐるるものなり
かれはそのみしとききしことをあかしとするに
その證をうくるものなしそのあかしをうくるものは神はまことなりと印をつけし
神のつかはせしものは神のことばをいふものなりそれ神は聖靈をかぎりなくこれにたまはればなり
父子をいつくしみてよろづのものをその手にたまへり
子を信ずるものはかぎりなきいのちあり子を信ぜぬものはいのちを見まじ神のいかりそのうへにとどまるべし
主パリサイの人が耶穌ヨハンネよりおほくの門徒をとりて洗禮をなすをききしとしる
されど耶穌みづからせんれいをなさずして門徒これをなせり
ゆゑにユウダヤをさりまたガリラヤにゆき
サマリアをとほらざればならず
つひにヤコブその子ヨセフにあたへし地にちかきサマリアのスカルといふむらにいたる
ここにヤコブの井あり耶穌たびのつかれにて井のかたはらに坐せりそのときは午刻ごろなり
婦ひとりサマリアより水をくみにきたれば耶穌かれにわれにのませよといふ
その門徒は食物をかひにむらへゆきたればなり
よってサマリアのをんないひけるは汝はユウダヤ人にてなんぞわがサマリアのをんなにのむことをもとむるやそれユウダヤ人とサマリアの人はまじはりをせざればなり
耶穌こたへていひけるはもし汝神のたまものをしるならばわれにのませよといふものをたれとしらば汝ねがふてかれに活る水をあたへんものを
をんな耶穌にいひけるは主やつるべなく井もふかきになんぢいける水とはいづれよりもてるか
この井をわれらにあたへかれとその子ども畜までもみなこれをのみしわれらの先祖ヤコブよりも汝はすぐれしものか
耶穌こたへていひけるはすべてこの水をのむものはまた渇かん
しかしながらわがあたふる水をのむものいつまでもかはらずわがあたふる水はかれにいつまでもわきいづる井なるべし
をんないひけるは主やわれかはかずして水をくみにここにきたらぬようにそのみづをあたへよ
耶穌いひけるは汝ゆきて夫をよびきたれ
をんなこたへていひけるはわれに夫なし耶穌いひけるは夫なしといひしはもつともなり
はや五人の夫ありしに今あるものはなんぢの夫ならずなんぢのいひしはまことなり
をんないひけるは主や汝をよげんしゃなりとみたり
われらの先祖はこの山のうへにまつりしに汝らはまつるべきところはヱロソルマなりといへり
耶穌いひけるはをんなやわれを信ぜよ汝ら父をまつることこの山にあらずまたヱロソルマにもあらざるときがきたらん
なんぢらまつるものをばなんぢらしらずわれらのまつるものをばわれらはしるそれすくひはユウダヤ人よりいづればなり
まことにまつる人靈と真にて父をまつるときがきたらん今にもあらんそれ父はかくのごとくまつるものをほつすればなり
神は靈なればまつるものも靈とまことにてそれをまつるべし
をんないひけるはキリストといへるメツシヤきたらんことをしるかれきたらんときにすべてんことをわれらにつげん
耶穌いひけるは汝にいふところのものはわれこそそれなれ
ここに門徒きたりをんなにものいふことをめづらしとすされどなにをもとむるやまたなんぞかれにかたるやといふ人もなし
をんなそのみづがめをのこしてむらにゆきひとびとにいひけるは
わがすべてなせしことをわれにつげし人をきたりてみよこはキリストにあらずや
さればひとびとむらをいで耶穌にきたるうちに
でしかれにききてラビ食したまへといひければ
耶穌かれらにいひけるはわれは食るになんぢらがしらざる糧あり
でしたがひにいひけるはたれか食物をかれにおくりしものなるや
耶穌かれらにいひけるはわれをつかはせしもののむねにしたがひそのわざをなしおはるはわが糧なり
四月たたば穫いれどきになるといはずやみよなんぢらにつげん目をあげてみよはや田がかりいれのためにしろくなれり
穫ものはあたひをうけかぎりなきいのちまでに實をあつむさればまくものとかるものとともによろこばん
あるひはまきあるひはかるものありとはこれにつきてまことなり
われなんぢらのほねをらざりしところをからせんと汝らをつかはしほかのひとびとほねをりければなんぢらかれらのほねをりをうけたり
そのをんなのことばわがすべてなせしことをわれにつげしと證せしによりてそのむらよりサマリア人おほく耶穌を信ぜり
さればサマリアの人かれらにきたりてかれらとともにとどまりたまはんことをねがひしかば耶穌二日ここにとどまれり
かれのことばによりて信ずるものおほくなりければ
をんなにいひけるはいまなんぢのいひしことによりて信ずるにあらずわれらみづからききてこれはまことに世をすくふのキリストなるものとしればなり
二日すぎて耶穌ここをさりガリラヤにゆけり
それ預言者ふるさとにてはたふとまれずと耶穌みづからあかしすればなり
さてガリラヤにいたるにガリラヤの人ヱロソルマにてまつりのせつに耶穌のなせしことをみなみしゆゑにこれをむかへりかれらそのまつりにゆきしものなればなり
耶穌また水を酒になせしガリラヤのカナにいたりければあるつかさのその子カペナオムにてやみつきければ
耶穌ユウダヤよりガリラヤにきたりしをききすなはちゆきてその子をいやさんとてくだることをねがへりそは死なんとすればなり
耶穌かれにいひけるはもししるしとことなるわざをみずんば汝らは信ぜじ
つかさかれにいひけるは主やわが子の死なざるさきにくだりたまへ
耶穌いひけるはゆけよなんぢの子いきるなりその人耶穌のいひしことを信じてさりぬ
くだるときそのしもべどもこれにむかひなんぢの子いきるとのべければ
かれらに愈そめしときをたづぬるにこたへてきのふ八つころに熱さめしといへり
父は耶穌が汝の子いきるといひしときをおなじときとしりておのれとその家内のものみな信ぜり
それ耶穌ユウダヤよりガリラヤにいたりてのちなせしことなるわざはこれそのふたつなり
そののちユウダヤ人のまつりありければ耶穌ヱロソルマへのぼり
ヱロソルマの羊門のほとりにヘブライのことばにてベテスダといふいけあり池にいつつの廻廊あり
その中に病もの目しひ足なへ手あしかれたるものどもいとおほくありて水のうごくをまてり
そはあるとき天のつかひいけにくだりて水をうごかすことあり水のうごきしのち先に池にくだりしものはなにのやまひによらずいえり
かしこにひとり三十八年やみしものあり
耶穌そのふしたるをみてその容躰のひさしきをしりかれにいひけるはよくならんことをほつするか
やみしものこたへけるは主や水のうごくときにわれを池にいるる人なしわれいらんとせしときにほかの人われよりさきにいりし
耶穌かれにいひけるはおきてねどこをとりあげよ
その人たちどころにいえねどこをとりあげてあるけりその日は安息日なり
ユウダヤ人いえしものにいひけるはあんそくにちなれば汝ねどこをとりあぐるはよろしからず
かれらにこたへけるはわれをいやせしものはこれ汝のねどこをとりあげよといひし
かれらがたづぬるはなんぢにねどこをとりあげあるけよといひしものはたれなるぞや
いえしものたれなるをしらずそはかしこにおほくの人あるゆゑに耶穌さけたればなり
そののち耶穌殿にてその人にあひいひけるはみよ汝はいやされたりなほあしきことなんぢにかからぬやうにまたつみをおかすことなかれ
その人ゆきてユウダヤ人におのれをいやせしものは耶穌なるをつげり
ゆゑにユウダヤ人耶穌をせめてころさんとはかるそはこのことをあんそく日にせしなればなり
耶穌かれらにこたへていまにいたるまでわが父はたらきたまひわれもはたらくといへり
これによりユウダヤ人なほ耶穌をころさんとはかるそはあんそく日をおかすのみならず神をおのれが父といひておのれを神とひとしくせしなればなり
かるがゆゑに耶穌かれらにこたへていひけるはまことに汝らにつげん子は父のなすことをみしほかにみづからなすことかなはずそはすべて父のなすことを子もかくなせばなり
父は子をいつくしみすべておのがなすことをかれにしめしこのことよりもなほおほひなることをかれにしめさんなんぢらめづらしとせんためなり
また父の死せしものをよみがへらせいきさするごとく子もおもふままに人をいきさする
それ父はたれをもさばきせずすべてのさばきを子にまかせりこれみな父をうやまふごとく子をもうやまはんとなり
子をうやまはざるものはこれをつかひし父をうやまはず
まことになんぢらにつげんわがことばをききわれをつかひしものを信ぜばかぎりなきいのちありてつみせられずに死せしよりいけるにうつれり
まことになんぢらにつげん死せしもの神の子のこゑをきくときがきたらんいまもありきくものはいくべし
それ父おのれにいのちあるごとくかく子もおのれにいのちあらせたまへり
また人の子たるによりてこれにさばきするの權威をたまへり
これをめづらしとすることなかれそれ墓にをるものみなそのこゑをききいでんときがきたればなり
よきをなせしものはいけるによみがへりあしきをなせしものはつみせらるるによみがへるべし
われみづからなすことかなはずわがきくところにしたがつてさばくわがさばきはただしきなりいかにとなればわがこころのままをなさずわれをつかひし父のこころのままをなせばなり
もしわがみづからについてあかしをなせばわがあかしはまことならず
われについてほかのあかしするものありわれについてそのあかしするあかしはまことなりとしれり
なんぢら人をヨハンネにつかはせしにかれまことについてあかしせり
われ人よりあかしをうけずただなんぢらがすくはれんためにわれこのことをいふなり
ヨハンネはもえててるあかしなり汝このんでしばらくそのひかりについてよろこべり
われはヨハンネよりおほひなるあかしありいかにとなれば父われにすまさせたまふわざはすなはちわがなすところのわざにてこれ父がわれをつかはしたまひしことをあかしをすればなり
且われをつかひし父はわれについてあかしせりなんぢらそのこゑを曾てきかずそのかたちもみしことなし
そのことばはなんぢらのこころにとまらずそはそのつかひしものを信ぜざればなり
聖書をたづねよ汝らこれにかぎりなきいのちあるとおもへばなりまたこれはわれについてあかしするものなり
なんぢらいのちをえんとてわれにきたることをこのまず
われ人よりたつときをうけず
なんぢらのこころに神をいつくしむことなきをしる
われはわが父の名によりてきたりしになんぢらわれをうけずしてほかの人おのが名によりてきたらばこれをうけん
あひたがひにたつときをうけひとりの神よりきたるたつときをうけずしていかで信ずることをよくせんや
われ汝らを父に訴ふるとおもふことなかれなんぢらのたのみとせしモーセは汝らをうつたふるものなり
もしモーセを信ぜばわれを信ずべしいかにとなればモーセわがことをしるせしことを信ぜざればいかでかわがことばを信ぜんや
こののち耶穌タイベリアといふガリラヤのみづうみのむかふへわたりけるに
やみしものになせししるしをみしによりておほくの人これにしたがへり
耶穌山にのぼりて門徒とともにかしこに坐せり
さてユウダヤ人のすぎこしのまつりちかづけり
耶穌目をあげておほくの人これにきたりしをみてピリツポにいひけるはかれらにくはせんといづれよりぱんをかはんやかれをこころみんとかくいへり
そはみづからそのなさんことをしればなり
ピリツポこたへけるは金二十だけのぱん人ごとにすこしづつもらふにもたらざるべし
でしのひとりシモン、ペテロの兄弟アンデレかれにいひけるは
ここにひとりのわらべ大麥のぱん五つとちいさき魚ふたつをもてりされどこのおほくの人にいかんせんや
耶穌いひけるはひとびとをすはらせよそのところにおほくの草あればおよそ五千人ほどすはりぬ
耶穌ぱんをとりいのりて門徒にあたへでしはすはりし人にあたへりまた人々のこのむだけちいさき魚をあたへり
みなあきたるのち耶穌でしにいひけるはすこしもなくならぬやうにそのあまりのくずをひろひあつめよ
そのしよくせしものの殘したるいつつのおほむぎのぱんのくずをひろひあつめて十二かごにみてり
ひとびと耶穌のなせししるしをみてまことにこはよにきたるべきのよげんしゃなりといへり
よって耶穌かれらのきたりおのれをとりて王になさんとするをしりてふたたびただひとりにてやまにさけり
暮ごろ門徒うみにくだりふねにのりカペナオムにむかひてうみをわたらんとす
はやくらくなれども耶穌かれらにきたらず
おほかぜふくにより海あれたちぬ
でし一里二三十町もこぎけるが耶穌のうみをあゆみふねにちかづくをみておそれし
耶穌われなりおそるることなかれといへり
門徒よろこびてかれをふねにうくふねただちにゆくところにつきぬ
あくる日に海のむかふにたちしひとびとは門徒ののりしふねのほかにふねなくかつ耶穌でしとともにふねにのらず門徒のみゆくをみる
しかるに主のいのりてひとごとにぱんをくはせしところにちかくタイベリヤよりほかのふねつきぬ
さてひとびと耶穌のここにあらずでしもまたあらざるをみてかれらもふねにのり耶穌をたづぬるにカペナオムにいたる
うみのむかふにかれにあふていひけるはラビいつここにきたりしや
耶穌こたへていひけるはまことになんぢらにつげん汝らのわれをたづぬるゆゑはしるしをみしにあらずただぱんを食してあきしなればなり
くつるかてのためにはたらかず人の子なんぢらにあたへかぎりなきいのちにたもてるかてのためにはたらくべしそは父たる神かれに判ををおしてあかしすればなり
よって耶穌にいひけるはわれら神のわざをなすになにをせんや
耶穌こたへて神のわざはそのつかはせしものを信ずるなりといへり
耶穌にいひけるはわれらみてなんぢを信ずるやうになにのしるしをなすやなにをおこなふや
われらの先祖野にマナをくらふすなはち天よりぱんをかれらにたべさせたまへりとしるせしごとし
耶穌いひけるはまことに汝らにつげんモーセは天よりぱんをなんぢらにあたへざりしわが父は天よりまことのぱんをなんぢらにたまふ
神のぱんとは天よりくだりていのちをよにたまふものなり
耶穌にいひけるは主やつねにこのぱんをわれらにたまへ
耶穌いひけるはわれはいのちのぱんなりわれにきたるものはうえずわれを信ずるものはいつもかはかず
されどもなんぢらわれをみつれども信ぜずと汝らにつげし
すべて父のわれにたまひしものはわれにきたるわれにきたるものはわれさらにすてず
われ天よりくだりておのれのこころのままをなすにあらずわれをつかはせしもののこころのままをなすにあり
すべてわれにたまひしものをさらにうしなはずしておはりの日にこれをよみがへらすはこれはわれをつかひし父のこころなり
いかにとなればすべて子をみてかれを信ずるものはかぎりなきいのちをえおはりの日にわれこれをよみがへらすべきことはわれをつかひしもののこころなればなり
ここにユウダヤ人耶穌のわれは天よりくだりしぱんなりといひしについてつぶやき
いひけるはこれその父母はわれらのしるヨセフの子耶穌にあらざるかしかるにわれは天よりくだりしといふはいかにぞや
耶穌こたへていひけるはたがひにつぶやくことなかれ
われをつかひし父はもしこれをひかざればわれによくきたる人なしまたきたりし人をわれおはりの日によみがへらすべし
よげんしゃは人みな神にをしへられしならんとしるされりゆゑにすべて父よりききてまなびしものはわれにきたる
かくいへども父をみしといふ人あらずただ神よりきたるもののみこれは父をみしものなり
まことになんぢらにつげんわれを信ずるものはかぎりなきいのちあり
われはいけるぱんなり
なんぢらの先祖野にてマナをくらへども死せり
天よりくだるぱんは人これをくらひて死せざるためなり
われは天よりくだりしいけるぱんなりもし人このぱんをくらはばかぎりなくいくべしわがあたゆるぱんとはわが肉なり世の人のいきるためにこれをあたへん
ここにユウダヤ人たがひにあらそひいひけるはこの人いかでその肉をわれらにあたへてくらはすことをよくせんや
耶穌いひけるはまことになんぢらにつげんもし人の子の肉をくらはずその血をのまざれば汝らにいのちあらず
わが肉をくひわが血をのむものはかぎりなきいのちありわれおはりの日にこれをよみがへらすべし
それわが肉はまことにくひものまたわが血はまことにのみものなればなり
わがにくをくらひわがちをのむものわれにをりまたわれかれにをるなり
いける父はわれをつかはしわれ父によりていけるがごとくわれをくらふものもわれによりていくべし
これは天よりくだりしぱんなり汝らの先祖マナをくらへど死せしごとくならずこのぱんをくらふものはかぎりなくいくべし
このこと耶穌カペナオムの會堂にてをしへしときのことなり
しかるにその門徒のうちにおほくの人これをききていひけるはこはいぶかしきことばにてたれかよくきかんや
耶穌みづからでしのこのことについてつぶやくをしりてかれらにいひけるはこれなんぢらをまよはするか
もし人の子もとのところにのぼるをみばいかにぞや
いかすものは靈なり肉はゑきなきものなりわれなんぢらにいひしことは靈なりいのちなり
されど汝らのうちに信ぜざるものありそれ耶穌はじめより信ぜざるものはたれなるかまたおのれをわたさんものはたれなるをしればなり
またこのゆゑにわが父より人にあたへられざればわれによくきたるものなしといひしなり
こののちその門徒おほくかへりて耶穌とともにあるかず
よって耶穌十二のでしにいひけるはなんぢらもゆかんとほつするや
シモン、ペテロこたへけるは主われらたれにゆかんや主はかぎりなきいのちのことばをもてり
主はいける神の子キリストなるをわれら信じてしれり
耶穌こたへけるはわれ汝らの十二人をゑらびしならずやひとりはあくまにあらずや
このことばはシモンの子イスカリヲテのユダをさせりいかにとなればかれは十二でしのひとりにて耶穌をわたさんとするものなればなり
このことの後耶穌ユウダヤをめぐることをほつせざるゆゑにガリラヤをへめぐりぬそはユウダヤ人これをころさんとはかればなり
さてユウダヤ人の結苑のまつりはちかづけり
しかるにその兄弟耶穌にいひけるは門徒に汝のなすわざをみせんとならばこのところをさりユウダヤへゆけよ
そはおのれをあらはにせんとおもへばひそかにことをなすものあらずもしこのわざをなさばおのれを世にあらはせよ
そはその兄弟かれを信ぜざればなり
耶穌わがときいまだいたらず汝らのときはつねにそなはれりといふ
世はなんぢらをにくむことをえずわれそれについてそのわざはあしきと證するによりてわれをにくめり
汝らこのまつりにのぼれよわがときいまだいたらざればわれこのまつりにいまのぼるまじ
かれらにかくいひてガリラヤにとどまれり
その兄弟ゆきしのち耶穌もあらはにせずしてひそかにまつりにのぼれり
ユウダヤ人まつりに耶穌をたづねてかの人はいづくにあるやといへり
おほぜいのうちにかれについてさまざまつぶやくことありあるひはかれはよき人なりといひあるひはいな民をまどはすものなりといへり
されどもユウダヤ人をおそるるによりかれについてあらはにいふ人なし
まつりのなかばごろ耶穌殿にのぼりてをしへければ
ユウダヤ人めづらしとしいひけるはこの人まなばずしていかにふみをしるや
耶穌かれらにこたへていひけるはわがをしへはおのれよりいでずわれをつかひしもののをしへなり
人もしその㫖にしたがはばをしへにつきて神よりかわがみづからいふことかをしるべし
おのれによりていふものはわがほまれをおもふものなりつかはせしもののほまれをおもふものはこれまことにしてかれにもよこしまなし
モーセなんぢらにおきてをあたへざりしかされどなんぢらのうちにおきてをまもるものなしなんぞわれをころさんとはかるや
人々こたへていひけるは汝はおににつかれしものなりたれかなんぢをころさんとはかるや
耶穌こたへてかれらにいひけるはわれひとつのわざをなせしに汝らみなめづらしとす
モーセ汝らに割禮をさづけしことはモーセよりあるゆゑにあらずせんぞよりあるゆゑなればなりされば汝らあんそく日に割禮を人におこなふ
モーセのおきてをやぶらぬやうにあんそく日に人割禮をうくるならばわがあんそく日にまつたく人をいやすことをいかるか
うはべによりてきはむることなかれ義にてきはめよ
ここにおいてあるヱロソルマの人いひけるはこれは人々のころさんとはかるものにあらずや
しかしながらかれはあらはにいへどかれをとがむるものなきをみよ有司はこれをまことにキリストなりとしるか
さりながらわれらかれのいでしところをしるキリストのいたるときに人はそのいでんところをしるまじ
ここに耶穌みやにをしゆるによびいひけるはなんぢらわれをしりまたいづるところをもしるわれはみづからきたりしにあらずわれをつかはせしものはまことにてなんぢらのしらざるものなり
われはかれをしるこはわれかれよりいでまたかれわれをつかはせしによればなり
かるがゆゑにかれら耶穌をとらへんとはかれども手だしするものなしそのときいまだいたらざればなり
しかしながら人おほくかれを信じいひけるはキリストきたるときこの人のなせししるしよりおほくなさんや
パリサイの人はたみのかく耶穌につきてつぶやくをききてパリサイの人と祭司のをさたちとかれをとらへんととりてをつかはしぬ
ここにおいて耶穌いひけるはわれなほしばし汝らとともにありてのちにわれつかはせしものにゆくべし
汝らわれをたづぬるともあふべからずわがをるところへなんぢらきたることかなはざるべし
ユウダヤ人あひたがひにいひけるはわれらのあはぬやうにいづくへゆくやかれはヘレネにちりしものにゆきヘレネの人ををしへんとするか
汝らわれをたづぬるともあふべからずまたわれのをるところなんぢらきたることかなはざるべしといひしことばはなにごとぞや
まつりのおはり大事なる日に耶穌たちてよびいひけるはもし人かはかばわれにきたりてのめ
われを信ずるものは聖書にしるせしごとくそのはらよりいける水川のごとくにながるべし
このことばかれを信ずるもののうけんとする聖靈をさしていひしなりそは耶穌いまだあがめをうけざるによりて聖靈いまだあらざればなり
おほぜいのうちにある人このことばをききてこれはまことにそのよげんしゃといひあるはこれはキリストなりといひ
あるはキリストはガリラヤよりいづるものかキリストダビデのすゑにてダビデのをりしむらベツレヘムよりいづると
聖書にしるせしにあらずや
かくおほぜいのうちかれにつきてあらそひあり
そのうちかれをとらへんとほつするものあれども手だしするものなし
とりては祭司のをさたちとパリサイの人のもとにかへるにかれらとりてにいひけるはなんぞかれをひききたらざるや
とりてこたへていひけるはこの人のごとくいひし人いまだあらず
パリサイの人こたへけるはなんぢらもまたまどはされしか
つかさやパリサイの人のうちにかれを信ずるものあるか
おきてをしらざるこのおほくの人は罰すべきものなり
夜耶穌にきたりしニコデモそのなかまにてかれらにいひけるは
われらのおきては人にききそのなせしことをしらざるさきにそのつみをさだむるか
かれらこたへけるはなんぢもガリラヤよりいでしものなるかたづねみよガリラヤよりよげんしゃいづることなし
ここにおのおの家にかへれり
耶穌カンラン山にゆけり
よあけにまたみやにいり民はみなかれにきたりしにすはりてかれらををしへけるに
はかせとパリサイの人奸淫せし時にとらへしをんなを耶穌につれきたりなかにおき耶穌にいひけるは
師やこのをんな奸婬せしうちにとらへられたり
モーセおきてのうちもしかくのごとくなるものあらば石にてうちころさるべしと命ぜしになんぢはなにをいふやと
かくいひて耶穌をあやまちにひきいれうつたへんたねにせんとなり耶穌は身をかがめゆびにてつちに畫けり
しきりにとふに耶穌おきてかれらになんぢらのうちにつみなきものはまづ石にてかれをうてよといひて
また身をかがめつちに畫けり
かれらききてうしろぐらきゆゑ年よりをはじめわかきものまでひとりびとりいでゆけり
耶穌おきてをんなのほかに人なきを見かれにいひけるはをんなやなんぢをあひてどりしものはいづれにをるやなんぢをつみする人なきか
をんな主や人なしとぞいひける耶穌かれにいひけるはわれもなんぢをつみせずゆきてまたつみをおかすことなかれ
また耶穌かれらにかたりていひけるはわれはよのひかりなりわれにしたがふものはやみにあるかずしていけるのひかりあらん
パリサイの人かれにいひけるはなんぢはおのれにつきてあかしをなすになんぢのあかしはまことならず
耶穌こたへていひけるはわれおのれについてあかしするともわがあかしはまことなりそれわれはいづくよりきたりいづくへゆくをしるしかしながらなんぢらはわれのいづくよりきたりいづくへゆくをしらざればなり
汝らは肉によりてつみをさだめわれは人のつみをさだめず
われもしさだめばわがさだめはまことなりそはわれひとりあるにあらずわれをつかはせし父とともにあればなり
またふたりのあかしはまことなるを汝らのおきてにしるされり
われにつきてあかしするものはわれなりまたわれをつかはせし父はわれについてあかしせり
かれら耶穌にいひけるは汝の父はいづくにあるや耶穌こたへけるはわれとわが父を汝しらずもしわれをしらばわが父をもしるべし
耶穌みやの金置場にてこのことをいへどかれのときいまだきたらざればたれも手だしする人なし
耶穌またかれらにいひけるはわれゆかん汝らわれをたづねおのれのつみに死せんわがゆくところへ汝らくることかなはず
ゆゑにユウダヤ人いひけるはわがゆくところへ汝らくることかなはずといひしは自殺せんとするか
かれらにいひけるは汝らは下よりなりわれは上よりなり汝らはこの世よりなりわれはこの世よりならず
ゆゑになんぢらはおのれのつみに死せんといひしなり汝らもしわれをキリストなりと信ぜずんばおのれのつみに死せん
ここにおいて耶穌にいひけるは汝はたれなるやといひしに耶穌かれらにいひけるはわれのはじめより汝らにつげしところのものなり
われなんぢらにつきておほくかたりまたいましむることありさりながらわれをつかはせしものはまことなりまたわれかれにききしことを世につぐ
父をさしてこれをいふにかれらしらず
このゆゑに耶穌かれらにいひけるはなんぢら人の子をあげしのちにわれはキリストなりまたみづからことをなさずただわが父のをしへしごとくわれかくいひしをしるべし
われをつかはせしものもわれとともにあり父はわれをひとりおきたまはずそはわがつねにかれのこころにかなふことをなせばなり
耶穌かくいひしに人おほくかれを信ぜり
かれを信ぜしユウダヤ人にいひけるは汝らもしわがことばにをらばまことにわが門徒なり
またまことをしるべしまことはなんぢらをゆるすべし
かれらこたへけるはわれらアブラハムのすゑなりいまだ人の奴とならずなんぢのことばに汝をゆるすといひしはいかなることぞや
耶穌かれらにいひけるはまことになんぢらにつげんすべて惡をなすものはあくのやつこなり
やつこはつねに家にをらず子はつねにをる
ゆゑにもし子はなんぢらをゆるさばまことにゆるさるべし
われなんぢらをアブラハムのすゑなりとしるされどもわれをころさんとはかるはわがことば汝らのうちにいらざればなり
われはわが父にみしことをいひ汝らはなんぢらの父よりききしことをなす
かれらこたへて耶穌にいひけるはアブラハムはわれらの父なり耶穌いひけるはなんぢもアブラハムの子ならばアブラハムのわざをなすべきものを
しかるをいまなんぢらは神よりききしまことをつげしわれをころさんとはかるこれアブラハムのわざにあらず
なんぢらは汝らの父のわざをなす耶穌にいひけるは我らは淫によりてうまれずひとりの父すなはち神あり
耶穌かれらにいひけるはもし神はなんぢらの父ならばなんぢらはわれをいつくしむべきものをそはわれは神よりいでくればなりわれみづからきたるにあらずただ神われをつかはしたまへり
なんぞわがことばをわきまへざるやそはわがことばをききがたければなり
なんぢらはなんぢらのあくまの父よりなればこのんでその父の慾をなすかれははじめより人ごろしなりまたまことに止らずそはかれにまことなければなりいつはりいふときおのがこころよりいふそれいつはるものまたそれの父なればなり
われはまことをいふによりてなんぢらわれを信ぜず
なんぢらのうちわれのつみをさだむるものはたれぞやわれもしまことをいはばなんぞわれを信ぜざるや
神よりなるものは神のことばをきくなんぢらのきかざるは神よりならざればなり
ユウダヤ人こたへていひけるはわれらなんぢはサマリアの人にて鬼につかれしといふはうべならずや
耶穌こたへていひけるはわれおににつかれしにあらずただわれ父をたつとぶになんぢらわれをかろんずるなり
われはおのれのあがめをはからずはかるものとつみをさだむることろのものあり
まことにまことになんぢらにつげん人もしわがことばをまもらばいつまでも死せじ
ユウダヤ人かれにいひけるはいまわれら汝鬼につかれしものなるとしるアブラハム死せりまたよげんしゃも死せりされども汝のいふには人もしわがことばをまもらばいつまでも死せじと
汝はわれらのはや死せし先祖アブラハムにまさるものかよげんしゃ死せりなんぢはみづからをたれとかする
耶穌こたへけるはわれもしみづからあがめをなさばわがあがめはむなしきなりわれをあがむるものはわが父すなはちなんぢらがわれらの神といひしものなり
なんぢらかれをしらずわれはかれをしるわれもしかれをしらずといはば汝らのごとくいつはるものならんされどわれかれをしりそのことばをまもるなり
なんぢらのせんぞアブラハムは我日をみんとよろこびまたこれをみてよろこべり
ユウダヤ人かれにいひけるはなんぢいまだ五十にならずしてアブラハムをみしや
耶穌かれらにいひけるはまことにまことに汝らにつげんわれはアブラハムなりしよりさきにあるなり
ここにひとびとかれをうたんと石をとりし耶穌かくれてそのなかをとほりみやよりいでさりぬ
耶穌とほるときにうまれつきの目しひをみたりしに
そのでしかれにたづねていひけるはラビこの人目しひにうまれしはおのれのかそのふたおやのかたれのつみによるか
耶穌こたへけるはこの人のつみによらずまたそのふたおやのつみにもよらずただ神のわざをかれにてあらはさんためなり
ひるのうちにわれをつかひしもののわざをわがなすべきことなりよるはきたらんそのうちにわざをなすべきものなし
われ世にをるとき世のひかりなり
このことをいひしのち地につばきしつばきに土をあはせそのつちを目しひのめにぬりて
かれにいひけるはゆきてシロアムといふいけにあらへとシロアムをとけばつかはせしとのいみなりかれつひにゆきてあらひ目あきになりてかへりぬ
そのとなりの人とかねてかれを目しひとみしもののいひけるはこれすはりてものをこひし人ならずや
ある人これはかれなりとあるひはかれににたるなりといへばかれいひけるはわれはこれなり
さてめしひにいひけるは汝の目はいかにしてあかされしや
こたへていひけるは耶穌といふ人つちをまぜわがめにぬりていひけるはゆきてシロアムといふいけにあらへとわれゆきてあらひしにめあきになれり
ひとびとかれにいひけるはかれはいづくにをるやしらずとこたへけり
かれらもと目しひなりしものをパリサイの人につれたり
さて耶穌つちをまぜかれの目をあけしときは安息日なり
またパリサイの人かれにいかにしてめはあかされしやとたづねしにこたへけるはかれつちをわがめにおきしにわれあらふて目あきになれり
ここにあるパリサイの人いひけるはこの人あんそく日をまもらざるによりて神よりにあらずある人いひけるはつみなる人はいかにしてかくなるしるしをよくなすやここにそのうちになかたがひになれり
また目しひにいひけるは汝のめをあけしによりてかれについてなにをいふやこたへけるはかれはよげんしゃなり
ユウダヤの人々はかれのめしひにて目あきになりしを目をあかされしもののふた親をよぶまでに信ぜず
かれらにとふていひけるはこれはうまれつきのめしひといひしものはなんぢらの子なるかいまいかにしてめあきになりしやと
そのふたおやかれらにこたへけるはこれはわが子にてうまれつきのめしひなるをしる
されどもいまいかにして目あきになりしをしらずまたたれがかれのめをあけしやしらずかれはをとななりかれにたづねよみづからいふべし
そのふたおやはユウダヤのひとびとをおそるるによりてかくいひしなりそはユウダヤのひとびともしあるひは耶穌をキリストといひあかさば會堂よりいだすべしとすでにたがひにいひさだめしことなればなり
ゆゑにそのふたおやはかれはをとななりかれにたづねよといへり
ふたたび目しひなりしものをよびていひけるは神にあがめをせよわれらこの人をつみなる人としる
かれこたへけるはつみなる人かしらずわれはめしひなりしがいま目あきになるひとつのことをしる
またかれにいひけるはかれはなんぢになにをなせしやいかにして汝のめをあけしや
かれらにこたへけるはわれすでになんぢらにいひしがきかずなんぞふたたびきかんとほつするや汝らそのでしにならんことをおもふや
かれらかれをののしりいひけるはなんぢはその人のでしなりわれらはモーセのでしなり
神のモーセにいひたまひしとわれらしれりされどこの人はいづれよりかしらず
その人こたへけるは我目をあけしになんぢらいづれよりかしらざるといぶかしきことかな
神はつみなる人をきかずさりながらもし神をうやまひそのむねにしたがふものにはこれをきくとわれらしれり
世のはじめよりこのかたうまれつきの目しひのめをあけし人あるをきかず
もしこの人神よりにあらずんばなにもなすことかなはず
かれらこたへていひけるはなんぢはまつたくつみにうまれしものにてわれらををしゆるかつひにかれをおひいだしぬ
耶穌かれをおひいだすことをききたづねあひかれにいひけるはなんぢ神の子を信ずるか
こたへていひけるは主やわれたれをかれとなして信ぜんや
耶穌いひけるはなんぢかれをみたりいまなんぢとものいふものはかれなり
主やわれ信ぜりといひてかれにぬかづけり
耶穌いひけるはさばかんとてみえざるものはみえみゆるものは目しひにならんためにこの世にきたる
パリサイのかれとともにある人このことばをききてかれにいひけるはかれらもめしひなるか
耶穌かれらにいひけるはなんぢもしめしひならばつみあらじをしかしながらいまなんぢらわれらみゆるといひしゆゑなんぢらのつみはのこれり
まことにまことになんぢらにつげん羊の牢に門よりいらずしてほかよりこゆるものはぬすびとなり盗賊なり
門よりいるものは羊をかふものなり
門もりはこれにひらく羊そのこゑをきくおのれの羊の名をよびてひきいだす
おのれの羊をひきいだすとき先にゆくひつじそのこゑをしるゆゑにこれにしたがふ
しらぬものにしたがはずしてこれよりにげるしらぬもののこゑをしらざればなり
耶穌かれらにこのたとへをいへどかれらそのいふこといかなるをしらざりし
耶穌またかれらにいひけるはまことにまことになんぢらにつげんわれはひつじの門なり
すべてわれよりさきにきたりしものはぬすびとなりとうぞくなりしかしながら羊そのこゑをきかざりき
われは門なりもし人われよりいらばすくはれかつ出入に草をうべし
ぬすびとはぬすみころしほろぼすのほかにきたらずわれはかれらにいのちをたもたせおほひなるをたもたせんときたれり
われはよきかふものなりよきかふものは羊のためにいのちをすつる
かふものにあらずしてやとはれしものは羊おのれのものにあらざれば狼のくるをみるとひつじをすててにぐるおほかみ羊をうばふてこれをちらす
やとひものはやとはれしものにて羊をいとはざるによりてにぐるなり
われはよきかふものにておのれの羊をしりまたおのれのひつじにしらる
父われをしるごとく我もかく父をしりかつひつじのためにいのちをすつ
われこの牢にあらずしてほかの羊ありかれらをもつれきたりわがこゑをききひとつのをりひとつのかふものとなるべし
わがいのちをふたたびとらんとすつるによりて父われをいつくしむ
われよりこれをうばふものなしわれみづからこれをすつるわれこれをすつるのちからありまたこれをとるのちからありわが父よりこのおふせをうけしなり
またこのことばによりてユウダヤ人のうちになかたがへあり
そのうちおほくいひけるは鬼につかれてくるふものなるになんぞかれをきくや
ある人いひけるはこれおににつかれしもののことばにあらず鬼は目しひのめをあくることをよくせんや
ヱロソルマみやきよめのいはひにてふゆのころなり
耶穌みやのソロモンの玄関にあるくに
ユウダヤ人かれをとりまきていひけるはわれらをいつまでうたがはするやなんぢもしキリストならばあきらかにかれらにつげよ
耶穌こたへけるはわれ汝らにつげしかども信ぜずわが父の名によりてなせしわざはわれについてあかしする
されど汝ら信ぜざることはなんぢらにいひしごとくわが羊にあらざればなり
わがひつじはわがこゑをききわれかれらをしるかれらわれにしたがひ
われかれらにかぎりなきいのちをあたへかれらいつまでもほろびずまたわがてよりこれをうばはんものなし
われにかれらをたまひしわが父はみなよりもすぐれりまたわが父のてよりうばふことをうるものなし
われと父とはひとつなり
ここにまたユウダヤ人かれをうたんとて石をひろひし
耶穌かれらにこたへけるはわれわが父よりおほくのよきわざをなんぢらにみせしにそのうちいづれのわざによりいしにてわれをうたんとするや
ユウダヤ人こたへけるはよきわざをするにあらずただけがすこととなんぢ人なるにおのれを神となすにより石にてなんぢをうたんとするなり
耶穌こたへけるはわれなんぢらは神なりといひしことをなんぢらのおきてにしるされずや
もし神のことばをうけしものを神といはば聖書もやぶられず
父のあがめて世につかはせしものがわれは神の子なりといひしによりてけがすことをいふといはんや
もしわが父のわざをなさずばわれを信ずることなかれ
もしこれをなさばわれを信ぜずともそのわざを信ずべしさすればなんぢら父はわれにありわれは父にありとしりて信ずべきなり
ここにかれら耶穌をとらへんとはかれどもそのてをのがれてさる
またヨロダンのむかふヨハンネの洗禮をなせしところにゆきてかしこにをれり
おほくの人これにつきていひけるはヨハンネはしるしをなさずされどもヨハンネかれについていひしことはみなまことなり
かしこにおほくの人はこれを信ぜり
さてマリアとその姊マルタのむらなるベタニアにラザロといふやめるものあり
そのやみしラザロは主に没藥をぬりおのれの髮のけをもって主のあしをぬぐひしマリアの兄弟なり
ゆゑにかれの姊妹耶穌に主のいつくしむものやめるなりといひつかはしける
耶穌これをききていひけるはこのやまひは死するにあらず神のちからをあらはし神の子をあがむるためなり
それ耶穌はマルタとその妹とラザロをいつくしめり
さればかれやめるとききてそのところに二日とどまれり
そののち門徒にいひけるはわれらまたユウダヤにゆくべし
門徒いひけるはラビ、ユウダヤ人はちかごろ石をもって主をうたんとせしにまたかしこにゆきたまふか
耶穌こたへけるは一日のうちに十二時あらずや人もしひるにあるかばつまづかじそはこのよのひかりをみるによってなり
また人もしよるにあるかばつまづくべしそはかれにひかりなきゆゑなり
耶穌これをいひてのち門徒にいひけるはわれらの友ラザロいねたりわれかれをさまさんためにゆくべし
門徒いひけるは主よかれもしいぬるならばいえん
耶穌はかれの死についていへりでしはいねてやすむことをいはれたりとおもへり
ここにおいて耶穌あきらかにラザロは死せしといへり
なんぢらが信ずるためにわれかしこにあらざりしをよろこぶしかしながらわれらかれにゆくべし
ふた子といへるトマスそのあひでしにわれらもまたゆきてかれとともに死すべしといへり
耶穌いたりてラザロは墓にはふむられてすでに四日なるをしれり
ベタニアはヱロソルマにつかきことおよそ一里なり
ユウダヤ人すでにおほくその兄弟のことによりてかれらをなぐさむるためにマルタとマリアにきたれり
マルタは耶穌いたるとききすぐにゆきてこれをむかへりマリアは家に坐せり
マルタ耶穌にいひけるは主やここにいませしならばわが兄弟は死せざりしものを
しかしながらいまでも主が神にもとむるところのものを神は主にあたへたまふことをしりぬ
耶穌いひけるはなんぢの兄弟はよみがへるべし
マルタ耶穌にいひけるはかれはおはりの日のよみがへるべきときによみがへることをしる
耶穌かれにいひけるはよみがへらすといかすとはわれなりわれを信ずるものは死するともいくべし
みないきてわれを信ずるものはいつまでも死することなしなんぢこれを信ずるや
かれ耶穌にいひけるは主やさなりわれは主を世にきたるべきキリスト神の子なりと信ず
かくいひゆきてひそかにその妹マリアをよび師きたりてなんぢをよびたまへりといへり
マリアききとくたちて主のところにゆけり
ときに耶穌いまだむらにいらずなほマルタのむかへしところにをれり
マリアをなぐさめてともに家にをりしユダヤ人はマリアがとくたちていづるをみてかれはなげくために墓ばにゆくといひてかれにしたがへり
マリア耶穌のところにきたりこれをみて耶穌のあしもとにふしていひけるは主よもしここにいませしならばわが兄弟は死せざりしものを
耶穌マリアの哭またかれとともにきたりしユウダヤ人のなくをみてこころにうれひおもひやりて
いひけるはなんぢいづこにこれをおきしや耶穌にいひけるは主やきたりてみたまへ
耶穌なみだをながしぬ
ユウダヤ人いひけるはみよいかにもかれをいつくしむものかな
そのうちにある人いひけるはこの人は目しひのめをひらきたるにかれをまた死せざらしむることあたはざりしか
耶穌またこころにうれひて墓にいたる墓はほらにしてそのうへに石をすえられたり
耶穌いひけるは石をのけよ死せしものの兄弟マルタいひけるは主やかれはもはやくさし死してより四日なればなり
耶穌かれにいひけるはもし汝信じなば神の威光をみんとわれ汝にいひしにあらずや
さて死せしものをおきしところよりいしをのけし耶穌めをあげていひけるは父やわれにききたまひしはありがたきなり
つねにわれにききたまひしことをしれどもかくいひしはそばにたつ人のために神われをつかはしたまひしことを信ぜさせんがためなり
かくいひておほひなるこゑにてラザロよいでよとよびしに
死せしもの布にて手あしをまかれまたかほは手ぬぐひにてつつまれていづ耶穌かれらにいひけるはかれをといてゆかしめよ
マリアとともにきたりしユウダヤ人耶穌のせしことをみておほくはかれを信ぜり
されどもそのうちにパリサイの人にゆきて耶穌のせしことをつげしものあり
祭司のおさたちとパリサイの人と評議やくをよびあつめていひけるはこの人おほくのしるしをなすゆゑにわれらいかにすべきや
もしわれらかれをこのままにすておかばおほくの人かれを信ぜんさすればロウマの人きたりてわれらのところと國たみとをうばはん
そのうちにこのとしの祭司のおさたるカヤパといふものかれらにいひけるは汝らはなにもしらず
また國中のたみのほろぶるよりひとりたみのかはりに死するはわれらのためによかるべきことをおもはず
これはみづからいひしにあらずこのとしの祭司のおさたるゆゑに耶穌このたみのために死することをあらかじめいひしなり
またこのたみのためのみならずちりたる神の子どもらをひとつにあつめんがためなり
この日よりのちかれら耶穌をころさんことをはかるによりて
耶穌これよりあらはにユウダヤ人のうちにゆかずそこをさり野にちかきところなるイフライムといふむらにゆきて門徒とともにとどまれり
ユウダヤ人のすぎこしのまつりちかづきぬればひとびとおのれをいさぎよくせんためにすぎこしのまつりのまへにいなかよりヱロソルマにのぼり
耶穌をたづねみやにたちてあひたがひにいひけるはいかにおもふやかれはまつりにきたらざるや
祭司のをさたちとパリサイの人とすでにふれをいだせりもし耶穌のありかをしる人あらばつぐべしとなりこれはかれをとらへんがためなり
耶穌はすぎこしのまつりの六日まへに死したるをよみがへらせしラザロのをるところなるベタニヤにきたり
ここにてかれにふるまひをそなへてマルタきふじをなし耶穌とともに坐してふるまひをうけし人のうちにラザロはひとりなりし
マリアはもつやくナルダといふあたへたかきにほひあぶら一斤をとりて耶穌のあしにぬりまたみづからのかみのけをもってそのあしをぬぐひそのもつやくのにほひうちぢうにみつる
そのでしのひとりイスカリヲテなるシモンの子耶穌をわたさんとせしユウダがいひけるは
このもつやくなんぞ四十両にうらせてまづしきものにほどこさざりしや
しかしながらかくいひしはかれまづしきものをおもふゆゑにあらずただぬすびとにて金いれをもちそのうちに入しものをたづさへしなればなり
耶穌いひけるはかれをすておけわがはうむりの日のためにこれをたくはへり
まづしきものはつねに汝らとともにあるわれはつねにともにあらず
おほくのユウダヤ人耶穌がここにをるをしりてきたるただ耶穌によるのみにあらずまたかれがよみがへらせたるラザロをもみんとてきたれり
祭司のをさたちラザロをもまたころさんとす
これはラザロによりておほくのユウダヤ人ゆきて耶穌を信ぜしゆゑなり
翌日まつりにいたりしひとびと耶穌ヱロソルマにきたるときき
樆櫚のえだをとりゆきてかれらをむかへホザナよ主の名によりてきたるイスラヱルの王はほまるべしとよばはれし
耶穌驢馬の子をえてこれにのれり
シヲンのむすめおそるるなみよなんぢの王は驢馬の子にのりてきたるとかくしるされたるごとし
そのでしはじめこのことをさとらざりしかども耶穌天にのぼりしのちこのことかれについてしるされてありまたかれはこのことをおこなひしをおもひいだせり
しかるにともにありしひとびとはかれがラザロを墓よりよびいだしてよみがへらせしことをあかせしなり
耶穌このしるしをなせしことをききしゆゑにひとびとまたかれをむかへり
パリサイの人あひたがひにいひけるはなんぢらなにもとぐることなしみよ世はかれにしたがへり
おがむためにまつりののぼりし人のうちにヘレネのひとびとあり
かれらガリラヤのベツサイダの人なるピリツポにきたりこふていひけるは先生よわれら耶穌にまみえんことをねがふ
ピリツポきたりてアンデレにつぐアンデレ、ピリツポとともにまた耶穌につぐ
耶穌かれらにこたへていひけるは人の子あがめらるべきときいたれり
まことにまことに汝らにつげんもしひとつぶの麥地におちてかれざればただひとつにてあるのみもしかれなばおほくのみをむすぶべし
そのいのちををしむものはこれをうしなはんこの世にそのいのちををしまざるものはこれをたもちかぎりなきいのちにいたらん人もしわれにつかへばわれにしたがふべしわれにつかふるものはわがおるところにおらん
人もしわれにつかへばわが父はかれをたつとばせん
いまわがこころうれひいためりなにをかいはんや父よこのときよりわれをすくひたまへさりながらこのことのゆゑにこのときにいたれり
父よみ名をあがめたまへとここに聲天よりきたりてわれこれをあがめたるもあがめんといへり
かたはらにたちたるひとびとききてかみなりがなるといひある人天のつかひかれにいひしといへり
耶穌こたへていひけるはこのこゑはわがためにあらずなんぢらのためなりいまこの世のつみの許定なり
いまこの世のぬしはおひいださるべし
われもし地のうへにあげられなばわれ萬民をひきよすべし
かくいひしは耶穌いかなる死にて死なんとするをしめせしなり
ひとびとかれにこたへけるはわれらキリストはかぎりなくをるものとおきてにおいてききしになんぢ人の子かならずあげられんといふはなんぞやこの人の子とはたれぞや
耶穌かれらにいひけるはなほしばらくのうちひかりはなんぢらのなかにありくらきはなんぢらにおひつかぬやうにひかりあるうちにあるけやみにあるくものはそのゆくべきかたをしらず
なんぢらひかりあるうちにひかりの子となるべきやうにひかりを信ぜよ耶穌これをいひみづからかれらをさけてかくれり
耶穌かれらのまへにかくおほひなるしるしをなせしていへどもかれらなほかれを信ぜず
このことはたれかわれらのつげしことを信ぜしや主の手はたれにあらはされしやよげんしゃヱザヤのいひしことにかなひしためなり
めにてみられずこころにてさとられずあらためられずわれかれらをいやされざるやうにそのめをくらましそのこころをかたくなにせしとヱザヤまたいひしによりてかれら信ずることあたはず
このことはヱザヤがかれのあがめをみ耶穌についてはなせしときにいへり
さりながら支配人のうちにおほく耶穌を信ずるものあれどもパリサイの人によって信ずるとあらはにいはずこれ會堂よりしりぞけらるをおそるればなり
かれらは神のほまれより人のほまれをこのむゆゑなり
耶穌よびいひけるはわれを信ずるものはわれを信ずるにあらずわれをつかはせしものを信ずるなり
またわれをみるものはわれをつかはせしものをみるなり
われひかりにして世にきたれりすべてわれを信ずるものはやみにおらぬためなり
もし人わがことばをききて信ぜずともかれをつみせずわれ世をつみせんためにあらず世をすくはんためにきたりしなり
われをすてわがことばをいれざるものをつみするものありすなはちわがいひしことはおはりの日かれをつみすべし
われみづからいひしにあらずわれをつかはせし父わがいふところのものわがかたるところのものをおふせたまひしゆゑなり
父のおふせはかぎりなくいけることなるをわれしるゆゑにわがいふところのものは父がわれにつげたまひしごとくにいふなり
すぎこしのまつりのまへに耶穌すでにこの世をさりて父にかへるべきときいたりたるをしりおのれの世にありしものをいつくしみておはりまでもこれをいつくしめり
夕食のときすでにあくまはシモンの子イスカリヲテのユウダといふものの心に耶穌をわたさんとするをしめされたり
耶穌父はその手にすべてものをたまひまた神よりきたり神にかへるをしりて
夕食よりたちうは着をぬぎ手ぬぐひをとりてこしにまとひ
そののち盥に水をいれて門徒のあしをあらひそのまとひし手ぬぐひにてふきはじめたり
つひにシモン、ペテロにおよぶペテロ耶穌にいひけるは主わがあしをあらふか
耶穌かれにこたへていひけるはわがなすことを汝いまはわからざれどものちわかるべし
ペテロかれにいひけるはけつしてわがあしをあらふべからずと耶穌かれにこたへけるはもしわれ汝をあらはずんば汝はわれと関係することあらず
シモン、ペテロかれにいひけるは主ただわがあしのみならずまた手とかうべもあらひたまへ
耶穌かれにいひけるはあらひたるものはあしのほかあらふにおよばずしてまったくきよし汝らはきよくあれどもみなきよきものにあらず
こはおのれをわたさんとするものをしるゆゑにみなきよきにあらずといひしなり
かれらのあしをあらひしのちそのうは衣をとりまた坐てかれらにいひけるはわがなんぢらになせしことをしるか
なんぢらわれを師または主とよぶわれまことにしかなれば汝らかくいふはよし
われはなんぢらの師にしてまた主なるになんぢらのあしをあらへば汝らもまたたがひにあしをあらふべし
そはわがなんぢらになせしごとくなんぢらもなすべきやうに例をいだせるなり
まことにまことに汝らにつげんしもべはその主よりおほひならずまたつかはさるるものはつかはすものよりおほひならず
なんぢらももしこれをしりてかくのごとくなさばさいはひなり
われなんぢらみなについていはずわがゑらみしものをしれり聖書にわれとともにめしをくらふものはわれにそむいて踵をあげしとしるされしにかなへるためなり
そのことのいたらんときわれを信じてキリストとせんためいたらぬまへにいまよりなんぢらにつぐ
まことにまことになんぢらにつげんわがつかはすものをうくるものはわれをうくまたわれをうくるものはわれをつかはしたるものをうくるなり
耶穌このことをいひてこころにうれひあかしていひけるはまことにまことになんぢらにつげんなんぢらのうちにひとりわれをわたさんとするものあり
でしたちたがひにかほをみあはせてたれをさしていひしかとうたがへり
耶穌のいつくしむひとりのでし耶穌のむねによりてありしかば
シモン、ペテロたれをさしていひしをとはしめんとかれにうなづきしめせり
耶穌のむねによりたるものかれにいひけるは主たれぞや
耶穌こたへけるはわれものをつけてひとつまみのくひものをあたゆる人こそそれなりとつひにひとつまみつけてシモンの子イスカリヲテのユウダにあたへたり
つまみものをうけたるのちサタンつひにかれにいりし耶穌かれにいひけるはなんぢがなさんことはすみやかになせよ
ともに席にをるものかくいひしをなにのゆゑとしるものあらざりき
よってある人おもへらくユウダ金いれをあづかりしゆゑ耶穌かれにまつりについての入用のものをかひあるひはまづしきものにほどこせといはれたりと
さてかれひとつまみのくひものをうけてただちにいでけりそのときは夜なりし
かれいでしときに耶穌いひけるはいまひとの子あがめられまた神はかれによってあがめらる
もし神かれによってあがめられなば神もまたおのれにおいてかれをあがめまたただちにかれをあがめん
こどもよわれなほしばらく汝らとともにあり汝らわれをたづねんわがゆくところになんぢらはいたることあたはじとユウダヤ人にいひしごとくいまもなんぢらにつげん
たがひにいつくしめよわが汝らをいつくしむごとくなんぢらもたがひにいつくしめよとのあらたなるいましめをなんぢらにさづく
もしたがひにいつくしまばこれによりてひとびとなんぢらはわが門徒たることをしるべし
シモン、ペテロかれにいひけるは主いづこにゆきたまふかと耶穌かれにこたへけるはわがゆくところになんぢいまわれにしたがふことあたはずのちわれにしたがはん
ペテロかれにいひけるは主よなにゆゑいまあなたにしたがふあたはざるか主のためにわがいのちをすてん
耶穌かれにこたへけるはわがためにいのちをすてんとするかまことにまことになんぢにつげん鷄のなかぬまへにみたびなんぢわれをしらずといはん
なんぢらこころにうれふることなかれ神を信じまたわれを信ずべし
わが父の家におほくのすまゐありしからずんばわれかねてなんぢらにつぐべきなりわれ汝らのためにところをそなへにゆく
もしわれなんぢらのためにところをそなへにゆかばまたきたりてなんぢらをわれにうくべしわがおるところになんぢらもをることをなさんとなり
なんぢらわがゆくところをしりまたそのみちをしる
トマスかれにいひけるはわれら主のゆくところをしらずいかにしてそのみちをしらんや
耶穌かれにいひけるはわれは途また真またいのちなりもしわれによらずんば人として父にきたるものなし
もしなんぢらわれをしりしならばわが父をもしるべしいまよりかれをしりまたかれをみたり
ピリツポかれにいひけるは主父をわれらにあらはせよさらばわれらにおいてたらざるところなし
耶穌かれにいひけるはピリツポわれなんぢらとともにひさしくをれどもいまだわれをしらざるかわれをみしものは父をみたりなんぞ父をわれらにあらはせといふや
われは父にをりまた父はわれにをるを信ぜざるかわれなんぢらにいひしことはおのれよりいはずわれにをる父はみづからこのわざをなすものなり
われは父にをり父もわれにをるとわれに信ぜよ
まことにまことに汝らにつげんわれを信ずるものはわがなすところのわざをなさんこれよりおほひなることをかれもまたなすべしこはわれわが父へゆけばなり
なんぢらすべてわが名によりてねがふところのことはわれこれをなさん父は子にてあがめらるるためなり
もしなんぢらわが名によりてねがふところなにごとにてもわれこれをなさん
もしなんぢらわれをいつくしまばわがいましめをまもるべし
われ父にねがふてかぎりなくなんぢらとともにをるためにほかのなぐさむるものをなんぢらにさづけたまはん
これはすなはちまことの聖靈なり世これをみずまたしらざるゆゑにうけられずしかしながらなんぢらこれをしるこはなんぢらとともにをりかつなんぢらのうちにあらんゆゑなり
われなんぢらをすててみなし子とせずしてなんぢらにきたるべし
しばらくして世われをみることなしされどなんぢらわれをみるわれいきればなんぢらもいくべし
その日にわれはわが父にをりまたなんぢらわれにをりまたわれなんぢらにをることをしるべし
わがいましめありてこれをまもるものはこれわれをいつくしむものなりわれをいつくしむものはわが父にいつくしまるべしわれもまたこれをいつくしみてかれにおのれをあらはすべし
イスカリヲテならざるユウダかれにいひけるは主みづからをわれらにあらはして世にあらはさざるはいかにぞや
耶穌こたへてかれにいひけるはもし人われをいつくしまばわがことばをまもりまたわが父これをいつくしみわれらかれにきたりてかれとともにをるべし
われをいつくしまざるものはわがことばをまもらずなんぢらのきくところのことばはおのれのにあらずわれをつかはせし父のことばなり
いまなほなんぢらとともにをりてこれらのことを汝らにかたりぬ
父わが名によりてつかはさんとするなぐさむるものすなはち聖靈はすべてのことをなんぢらにをしへまたわがすべてなんぢらにいひしことを汝らにおもひださせんわれやすきをなんぢらにおくり
わがやすきをなんぢらにさづけわがあたゆることは世のあたゆるごとくにあらずなんぢらのこころにうれひまたおそるることなかれ
われゆきてまたなんぢらにきたるとなんぢらにいひしことを汝らきけりもしわれをいつくしまばわれ父にゆくといひしことをなんぢらよろこぶべきことなりこはわが父われよりまさるゆゑなり
いまことのならざるまへになんぢらにかたりぬこはことのなるときにおいてなんぢらの信ずべきためなり
こののち汝らとともにおほくかたらじいかにとなればこの世のきみきたればなりかれわれにおいてあるところなし
しかるにわが父をいつくしむことを世にしらさんためまた父われに命ずるごとくわれこれをなすわれらこれよりゆかん
われはまことの葡萄づるにしてわが父はつくるものなり
すべてわが枝にありて實をむすばざるものはこれをきりとりすべてみをむすぶものはおほくみをむすばんためにこれをかりこむ
いまなんぢらわがいひしところのことによりてきよくなり
なんぢらわれにをれまたわれをなんぢらにをらせよ枝ぶどうづるにをらざればおのづからみをむすばざるごとくなんぢらもわれにをらずんばまたかくのごとくならん
われは葡萄づるにして汝らはそのえだなりわれかれにをりまたわれにをるものはこれおほくの實をむすぶものなりいかにとなればわれにはなれてなんぢらみをむすぶことあたはざればなり
人もしこれにをらずんばほかにすてられてかれたるえだのごとく人これをあつめ火になげいれてもやすなり
なんぢらもしわれにをりまたわがいひしことなんぢらにをらばほつするところのものをねがふにそれをうべし
なんぢらおほくの實をむすんでわが父はそれにおいてほまれをうくさらばなんぢらもわがでしならん
父のわれをいつくしむごとくわれもまたなんぢらをいつくしめりわがいつくしみにをれ
われわが父のいましめをまもりてそのいつくしみにをるごとく汝らもわがいましめをまもらばわがいつくしみにをらん
わがよろこびに汝らをりまたなんぢらのよろこびをみてんためにかくかたりぬ
わがなんぢらをいつくしみしごとくなんぢらもまたたがひにいつくしむべきことはこれわがいましめなり
人そのいのちを朋友のためにすつるはいつくしみにおいてこれよりおほひなるはなし
すべてわがなんぢらに命ずるところのことをなさばわが朋友なり
われいまより汝らをしもべといはずしもべはその主のなすことをしらずわれなんぢらを朋友といへりいかにとなればわが父よりききしことをみななんぢらにしめせばなり
なんぢらわれをゑらまざりしわれはなんぢらをゑらめりまたなんぢらゆきてみをむすびなんぢらのみのたえざるためになんぢらを任ぜりまた父はなんぢらのすべてわが名によりてねがふところのものをなんぢらにたまはらんためなり
なんぢらたがひにいつくしまんためにわれこれをめいず
世もしなんぢらをにくまばわれをなんぢらよりさきににくむとしるべし
なんぢらもし世のものにてありしならば世はおのれのものをこのむべししかるに世のものにあらずしてわれなんぢらを世よりゑらみしこれによりて世なんぢらをにくむ
われなんぢらにしもべはその主よりまさるものなしといひしことをこころにかけよもし人われをせめなばなんぢらをもせめんもしわがことばをまもりなばなんぢらのことばもまもらん
されどわが名のゆゑにわれをつかはせしものをしらざるゆゑにこのことみななんぢらになさん
われもしきたりてかれらにかたらざりしならばつみなからんいまさらにそのつみのいひわけなし
われをにくむものはまたわが父をにくむものなり
われもし他の人のなさざりしことをかれらのうちになさざりしならばつみなからんしかるにわれとわが父とを見またにくめり
これはかれらのおきてにゆゑなくしてわれをにくめりとしるせしことにかなふためなり
われは父よりつかはさんとするなぐさむるものすなはち父よりいづるまことのたまにてきたるときこれわれについてあかしをなさん
なんぢらもはじめよりわれとともにをるによりてまたあかしをなすべし
なんぢらにこのことをかたりしはまどはされざるためなり
ひとびとはなんぢらを會堂よりしりぞけんかつなんぢらをころすものは神につかふるとおもはんときいたらん
このことをなんぢらなすは父とわれとをしらざればなり
それこのことをなんぢらにいひしはときいたらば汝らにわがかくいひしことをこころにかけさせんとなりはじめにこれをなんぢらにいはざりしはわれなんぢらとともにおればなり
われいまわれをつかはせしものにゆけどもなんぢらひとりもいづこへゆくとたづぬるものなけれども
われこのことをいひしによってうれひなんぢらのこころにみてり
されどもまことをなんぢらにいはんわがゆくはなんぢらの益なりもしゆかずばなぐさむるもの汝らにきたらじもしゆかばかれをなんぢらにつかはさん
かれきたつて罪とまたただしきとまたさばきについて世をふくさしむべし
つみにおいてはわれを信ぜざればなり
ただしきにおいてはわれわが父へゆきてなんぢらわれをまたみざればなり
さばきにおいてはこの世の君さばきをうくればなり
われなほなんぢらにおほくのかたらんことあれどもいまなんぢたえがたし
しかるにかれはすなはちまことの靈にてきたればすべてのまことになんぢらをみちびきみづからいはずしておよそききしところのことをなんぢらにいひまたきたらんことをなんぢらにしめさんとすればなり
かれわれをあがむべしこはわがものをうけてなんぢらにしめさんとすればなり
すべて父のあるところのものはわがものなりこのゆゑにかれわがことのうちよりとりてなんぢらにしめさんといへり
しばらくなんぢらわれをみずまたしばらくしてわれをみるべしこはわれ父へゆかんとするなり
あるでしたがひにいひけるはしばらくなんぢらわれをみずまたしばらくしてわれをみるべしかつこれはわれ父へゆかんとするなりといひしことはなにのことぞ
しばらくといひしことはなにごとぞそのいひしことはなにといふことかしらずといへり
耶穌かれらのとはんとほつすることをしりていひけるはしばらくわれをみずまたしばらくしてわれをみるべしといひしことをたがひにたづぬるか
まことにまことになんぢらにつげんなんぢらなげきかなしみ世はよろこぶべしなんぢらうれふるとも汝らのうれひはかはりてよろこびとなるべし
おんなはうまんとするときにうれひありそのとききたればなり子をうみしのち人は世にうまれしよろこびによりてなほまたそのくるしみをおもはず
かく汝らもいまうれひありともまたわれなんぢらをみん汝らのこころはよろこぶべしかつなんぢらのよろこびをうばふものなし
その日になんぢらわれにとふところなかるべしまことにまことになんぢらにつげんおよそわが名によりて父にねがふところのものを父これをなんぢらにさづけたまふべし
いままでなんぢらわが名によりてねがふことなし汝らのよろこびをみたしめんためにねがふてうくべし
たとへをもってこのことをなんぢらにかたりしにたとへなくしてかたるときいたりまた父においてあきらかにしめすべし
その日になんぢらわが名によりてねがはんわれなんぢらのために父にねがはんといはず
いかにとなればなんぢらわれをいつくしみまたわれ父よりきたりしことを信ぜしにより父なんぢらをいつくしむゆゑなり
われ父よりいでて世にきたりしにまた世をはなれて父にゆく
でしかれにいひけるはみよいま主あきらかにいひてたとへをいはず
いま主のしらざるところなくまた人のとふことは主にかかはらずとしるこれによりて主の神よりいでしことを信ず
耶穌かれにこたへけるはいま信ずるか
みよなんぢらおのおのみづからの家にはなれてわれをひとりにすつるときいたらんいまもきたりぬしかるに父われとともにをるによりてわれひとりにあらず
なんぢらわれにおいてやすからしめんためにこれをいひぬ世にくるしみにあはんなれどもやすんぜよわれは世にかちぬ
耶穌このことをいひて天をあふぎいひけるは父よときはいたりぬあなたの子があなたをあがめんために子をもあがめたまへ
こはあなたのかれにたまひしところのものにかぎりなきいのちをあたへんとてすべていけるものの上に權威をもたせしゆゑなり
かれらがあなたただひとりのまことの神とつかはしたまひし耶穌キリストをしらんことはこれかぎりなきいのちなり
われあなたを世にあがめわれにたまひしところにわざはおはりぬ
父よわれ世のはじめのまへにあなたとともにありしあがめをもってわれをあがめたまへ
父の世よりわれにたまひしひとびとにあなたの名をあらはせりかれらはあなたのものにしてわれにこれをたまひてかれらあなたのことばをまもれり
いまかれらはおよそわれにたまひしものみな父よりとしれり
いかにとなればあなたのわれにたまひしことばはわれかれらにあたへかれらこれをうけまたわれあなたよりいでしをまことにしりかつあなたのわれをつかはせしことを信ずればなり
われかれらのためにいのり世のためにいのらずあなたのわれにたまひしもののためのみこはわれらあなたのものなればなり
わがものはみなあなたのものあなたのものはわがものなりわれかれらにあがめらる也
われいまより世にをらずかれら世にをりわれはあなたにきたるたふとき父よわれらのごとくひとつとなるべきやうにわれにたまひしものをあなたの名においてまもりたまへ
われかれらとともに世にありしときあなたの名においてかれらをまもれりわれにたまひしものをまもりて聖書にかなふために自滅の子のほかにそのうちにて滅するものなし
いまわれあなたにきたるわがよろこびはかれらにみちあらしめんために世にてこのことをいふ
われあなたのことばをかれらにさづけしわれ世のものにあらざるごとくかれらも世のものにあらざるによりて世はかれらをにくむ
あなたのかれらを世よりとりたまふとていのらずただあしきものよりかれらをまもりたまふとていのる
われ世のものにあらざるごとくかれらも世のものにあらず
あなたのまことにおいてかれらをきよめたまへあなたのことばはまことなり
あなたわれを世につかはせしごとくわれもかれらを世につかはせり
われかれらのためにみづからをきよめかれらもまことにおいてきよめられんとなり
われかれらのためのみにいのらずかれらのをしへによりてわれを信ずるもののためにもいのるなり
みなひとつにならんためなり父よあなたわれにをりまたわれあなたにをるごとくかれらもわれらにひとつにならんかつ世もあなたわれをつかはせしことを信ぜしめんとなり
またあなたのわれにたまひしあがめをかれらにさづけりこはわれらのひとつにあるごとくかれらもたがひにひとつにならんためなり
われかれらにをりあなたわれにをりてかれらひとつにまつたふせしめん世もあなたのわれをつかはせしことまたあなたわれをいつくしむごとくわれもかれらをいつくしむことをしらしめんとなり
父よわれにたまひしものはわがをるところにかれらもわれにたまひしあがめをみんとともにをることをほつすいかんとなればあなた世のはじめのまへにわれをいつくしめばなり
ただしき父よ世はあなたをしらざりしわれはあなたをしれりこれも父のわれをつかはせしことをしれり
われあなたの名をかれらにしめしまたしめさんこはあなたのわれをいつくしみたまひしいつくしみはかれらにをりまたわれかれらにをらんためなり
耶穌このことをいひてのちその門徒とともにいでてキデロンの谷をわたりそこにある園にでしとともにいりぬ
かれをわたせしユウダそのところをしれり耶穌しばしばそのでしとともにそこにあつまればなり
よってユウダひとくみのつはものまた祭司のをさたちとパリサイの人よりの小やくにんをつれ松明とてうちんと武具とをもってそこにきたり
さて耶穌ことのおのれにかからんとするをみなしりいでてかれらにいひけるはたれをたづぬるか
かれにナザレの耶穌とこたへけるは
耶穌かれらにいひけるはわれなりかれをわたせしユウダかれらとともにたてりかれらにわれなりといひしかばかれらしりぞきて地にたをれけり
またかれらにたれをたづぬるやととひしかばかれらいひけるはナザレの耶穌なり
耶穌こたへけるはなんぢらにわれなりといひしもしわれをたづねなばこれらをゆるしてさらしめよ
これ耶穌のわれにたまひしもののうちにひとりもうしなはざりしといひしことばにかなへり
ここにおいてシモン、ペテロはおびたるやいばをぬき祭司のをさのしもべをうちてみぎの耳をそぎししもべはマルコスとなづくるものなり
耶穌ペテロにいひけるは刃をさやにおさめよ父のわれにたまひしさかづきをわれのまざらんや
ここに組人とそのをさとユウダヤ人の小やくにん耶穌をとらへてしばれり
まづこれをアンナスにつれゆくこれことしの祭司のをさカヤパの舅なればなり
ひとり民のために死すればゑきなりとユウダヤ人にすすめし人はこのカヤパなり
シモン、ペテロとほかのでし耶穌にしたがへりこの門徒祭司のをさのしるところのものなれば耶穌とともに祭司のをさの庭にいりぬ
ペテロは門のそとにたつに祭司のをさのしるところの門徒はいでて門をまもる下女にいひてペテロをつれていりぬ
ここにおいて門をまもる下女ペテロにいひけるはなんぢもこの人の門徒のひとりにあらざるかわれはしらずといへり
しもべと小やくにん寒によりて炭をたきあたたまるためにたつペテロもかれらとともにたちてみづからをあたためり
祭司のをさ耶穌にその門徒とそのをしへについてたづぬるに
耶穌かれにこたへけるはわれあきらかに世にいひしなりわれつねに會堂とユウダヤ人のつねにあつまりし殿にをしへかくしていひしところなし
なんぞわれにたづぬるやわがいひしところをききしものにたづねよみよかれらわがいひしところをしれり
耶穌これをいひしにここにたちし小やくにんのひとり手のひらにて耶穌をうちいひけるはかくのごとく祭司のをさに荅るか
耶穌かれにこたへけるはもしわれあしくいひたらばあしきについてあかしせよもしよくいひたらばなんぞわれをうつや
さてアンナス耶穌をしばりて祭司のをさカヤパへおくりぬ
シモン、ペテロたつてみづからをあたためたりあるひとびとかれになんぢもこの人の門徒のひとりなるかといひしにペテロこばみてしからずといへり
祭司のをさのしもべペテロに耳をそがれしものの親類のいひけるは我なんぢをかれとともに園にみざりしや
ペテロまたこばみしに鷄たちまちなきぬ
さて耶穌をカヤパより代官のやしきへひきつれし時はよあけなりかれらけがれをうけずしてすぎこしのまつりのそなへものをあげんためにやしきにいらず
ピラトかれらにいでていひけるはなんのことをもってこの人をうったゆるや
かれにこたへけるはかれもしあしき人にあらずんばあなたにかれをわたさざりしを
ピラトかれらにいひけるはなんぢらこれをとりなんぢらのおきてにしたがつてつみせよユウダヤのひとびとかれにいひけるは人を死罪におこなふはわれらのなすべからざることなり
こは耶穌のその死なんとするやうすをさしていはれしにかなへり
ピラトまたやしきにいり耶穌をよびていひけるは汝はユダヤ人の王なるや
耶穌かれにこたへけるはなんぢみづからこれをいふか人われについてこれをなんぢにいひしか
ピラトこたへけるはわれはユウダヤ人なるかなんぢのくに人と祭司のをさとなんぢをわれにわたせりいかなることをなせしや
耶穌こたへけるはわが國はこの世の國にあらずもしわが國この世の國にあらばわが家來われをユウダヤ人にわたさざるためにたたかふべしされどもわが國はここよりにあらず
ピラトかれにいひけるはしからばなんぢは王なるか耶穌こたへけるはしかりわれは王なりわれのうまれしことまたわれの世にきたれることはまことにあかしをなさんとするためなりすべてまことにつくものはわがこゑをきく
ピラトかれにいひけるはまこととはなんのことぞやこれをいひしのちまたユウダヤ人にいでてかれらにいひけるはわれはこの人につみあることをみず
しかるにすぎこしのまつりにてひとりをゆるすのためしなんぢらにありユウダヤ人の王をゆるすことをほつするや
みなまたさけびいひけるはこの人にあらずバラバなりバラバはぬすびとなり
ここにピラトは耶穌をとりてむちうち
つはものいばらにてかむりものをあみてそのかうべにかむらしめむらさきのうはぎをかれにきせていひけるは
ユウダヤ人の王よ安ぜよまた手のひらにてこれをうつ
ピラトまたそとにいでかれらにいひけるはみよわがかれについてつみあることを見ざるをなんぢらにしらせんとかれをここにひきいだす
さて耶穌いばらのかんむりをかむりむらさきのうはぎをきてそとにいづピラトかれらにいひけるはこの人をみよ
祭司のをさたちと小やくにんこれをみて十字架につけよ十字架につけよとさけびいへりピラトかれらにいひけるはなんぢらかれをとりて十字架につけよわれかれについてつみあることをみざるなり
ユウダヤ人かれにこたへけるはわれらにおきてありそのおきてにしたがへばかれは死すべきものなりそはかれみづからを神の子となせばなり
ピラトこのことばをききてますますおそれたり
またやしきにいりて耶穌にいひけるはなんぢはいづこのものか耶穌かれにこたへず
ピラトかれにいひけるはわれにいはざるかわれなんぢを十字架につくる權威ありまた汝をゆるすけんいあるをしらざるか
耶穌こたへけるはなんぢ上よりけんいをたまはらざればわれについてけんいなしゆゑにわれをなんぢにわたせしもののつみもつともおほひなるべし
こののちピラトかれをゆるさんとはかれどもユウダヤさけんでいひけるはもしこれをゆるさばカイザルに忠義なるものにあらずすべてみづからを王となすものはカイザルにそむくものなり
ピラトこのことばをききて耶穌をひきいだししき石といふところをヘブライの言ばにてとけばガバタといふところにある吟味所に坐せり
その日はすぎこしのまつりのそなへなりやや日中ごろピラトユウダヤ人にいひけるはなんぢらの王をみよ
かれらこれをのけよのけよ十字架につけよとさけびぬピラトかれらにわれなんぢらの王を十字架につけんやといふに祭司のをさたちこたへけるはカイザルのほかわれらに王なし
つひにかれを十字架につけさせんとかれらにわたせりよってかれら耶穌をとりてひきゆけり
耶穌十字架をおふて髑髏といふところにいづこれをヘブライのことばにとけばゴルゴダといふなり
ここにかれを十字架につけまたかれとともにほか二人は耶穌をはさみてつけたり
ピラトすてふだをしるして十字架につけりこはユウダヤ人の王たるナザレの耶穌としるされたり
耶穌を十字架につけしところはみやこにちかければこのすてふだをよむものおほしこはヘブライとヘレネとローマとのことばによてしるされたり
ユウダヤ人の祭司のをさたちピラトにいひけるはユウダヤ人の王としるさずしてわれはユウダヤの王なりとみづからいひしとしるせよ
ピラトこたへけるはわがしるせしところをしるせり
よってつはもの耶穌を十字架につけしのちそのうはぎをとり四にわけておのおのそのひとつをとりまた下ぎをとるにしたぎはぬひめなくして上よりまつたくをりしものなり
かるがゆゑにたがひにいひけるはこれをわけずしてたれのものにせんや䦰にすべしこは聖書にわがうはぎをたがひにわけわがしたぎについて䦰をとりぬといひしことにかなへんとなりゆゑにつはものこのことをなせり
さて耶穌の母と母の妹及キロパの妻なるマリアとマグダレネのマリアとその十字架のかたはらにたてり
よって耶穌母といつくしむところの門徒とちかくたつをみてその母にいひけるはをんなよなんぢの子をみよ
また門徒にいひけるはなんぢの母をみよこののちそのでしは耶穌の母をおのれの家につれゆけり
こののち耶穌すべてことのすでにおこれるをしりて聖書にかなふためにわれ渇なりといへり
ここに醋のみちたるうつはをおかれしかばつはものども海絨を醋にひたしえだにつけてその口にあたふ
耶穌醋をうけしのちいひけるはおはりぬ首をたれて靈をわたせり
この日まつりのそなへ日なりまた安息日に尸を十字架のうへにすておかざるためにユウダヤ人ピラトにかれらのあしををりて尸をとることをねがへりいかにとなればこのあんそく日は大事なる日なればなり
さてつはもの耶穌とともに十字架につけられしもののあしを先にをり
耶穌にきたりてはや死したるをみてそのあしををらず
しかるにつはもののひとり戈にてそのあばらをつきすぐに血と水といでたり
これをみしものはあかしをたてたりそのあかしはまことなりなんぢら信ずべきためにこれをみる人はあかしをたてそのあかしもまことなりかれをまことをいふとしれり
このことをなすはしるせしところのそのほねのひとつもくだかざるべしといひしにかなへんためなり
またほかのしるせしところかれらは彼らのつきしものをみんといへり
こののちアリマタヤのヨセフはユウダヤ人をおそれてひそかに耶穌の門徒なるものなれば耶穌の尸をとらんとピラトにねがふピラトこれをゆるすゆゑにかれきたりてその尸をとれり
またはじめに夜間耶穌にきたりしものニコデモという人百斤ばかりの没藥蘆薈をまぜてたづさへきたれり
かれら耶穌のしかばねをとりてユウダヤ人のはうむりのならはしのごとくこれを布と香にてつつめり
さて十字架につけしところに園あり園のうちに人のいまだおかざるあたらしき墓あり
この日ユウダヤ人のまつりのそなへ日なりまた墓ちかければそこに耶穌をおけり
一七日のはじめの日マガダレネのマリア曉いまだくらきうちに墓にきたりて石の墓よりとれしをみる
つひにシモン、ペテロと耶穌のいつくしむところの門徒にはしりゆきてかれらにいひけるはたれか主を墓よりとりしものありわれらいづこにおきしやところをしらず
ペテロとそのほかのでしといでて墓にいたりぬ
二人たがひにはしりほかの門徒ペテロよりはやくはしり先に墓にいたり
跼て尸をつつみし布のおけるをみるされどもいらず
シモン、ペテロかれにおくれてきたりはかにいりつつみし布のおけるをみる
またその首をつつみし手ぬぐひは尸をつつみし布とともにおかずはなれてほかのところにたたみておけるをみる
ここにはじめに墓へきたりしほかの門徒もいりこれをみて信ぜり
こはしるせしところのかれのよみがへるべきことをしらざればなり
さて門徒はまたおのれのやどへかへれり
マリアは墓のそとにたちてなげきつつ墓にむかひ跼て
ふたりの天の使しろきころもを着耶穌の尸をおけるところに一人は首に一人はあしにをるをみたり
天の使かれにいひけるはをんなよなんぞなげくやかれらにいひけるはわが主をとるものありていづこにおきしをしらざればなり
このことをいひふりむいて耶穌のたちしをみるされども耶穌なることをしらず
耶穌かれにいひけるはをんなよなんぞなげくやたれをたづぬるぞマリア園をまもる人なりとおもひてかれにいひけるはなんぢもしかれをおぶひしならばいづこにおきしをわれにつげよわれはこれをとるべし
耶穌かれにマリアよといふをんなかへりみてかれにラボニといふこれをとけば夫子なり
耶穌かれにいひけるはわれにさはることなかれいかにとなればわれいまだわが父にのぼらざればなりわが兄弟にゆきていへわれはわが父となんぢらの父わが神となんぢらの神にのぼると
マガダレネのマリアきたりて主を見又おのれにいひしことを門徒につげり
この日のくれがた一七日のはじめの日にてユウダヤ人をおそるるによりて門徒のあつまりしところの門の戸をとぢたるに耶穌きたりてそのうちにたちかれらにやすんぜよといふ
これをいひしのちその手とあばらをかれらにみせしに門徒主をみてよろこべり
またかれらにいひけるはやすんぜよ父のわれをつかはせしごとくわれもなんぢらをつかはす
これをいひしのちかれらにいきをふきていひけるは聖靈をうけよ
汝らすべてそのつみをゆるせしものはこれをゆるされりそのつみをさだめしものはこれをさだめらる
耶穌きたりしときに十二のでしのひとりふた子といふトマスはかれらとともにをらず
よってほかのでしかれにいひけるはわれら主をみたりトマスかれらにいひけるはわれもしその手に釘のあとをみずわがゆびを釘のあとにささず又手をその脅にささずんばわれは信ぜじ
八日すぎしのちその門徒又家のうちにをりてトマスもかれとともにをる門の戸をとぢたるに耶穌きたりてそのうちにたちなんぢらやすんぜよといふ
つひにトマスにいひけるはなんぢのゆびをここにのべてわが手を見なんぢの手をのべてわがあばらにさせよ信ぜざるなくして信ぜよ
トマスこたへてかれにいひけるはわが主よわが神よ
耶穌かれにいひけるはなんぢわれをみたるによって信ぜり見ずして信ずるものは福なり
耶穌その門徒のまへにこのふみにしるされざるなほほかのあまたのしるしをなせり
なんぢら耶穌は神の子キリストと信じ又信じてその名によりていのちあらんためにこのことをしるされり
こののち耶穌またおのれをテイベリアのみづうみにて門徒にあらはせりあらはすこと左のごとし
シモン、ペテロとふた子といへるトマスとガリラヤのカナのナタナヘルとゼベダイの子たちまたほかの二人の門徒とともにありし
シモン、ペテロ彼らにいひけるはわれ漁にゆかんかれにいひけるはわれらもともにゆかんといでて舟にのりその夜なにもとらず
はや夜もあけぬれば耶穌きしにたつされど門徒は耶穌なることをしらず
耶穌かれらにいひけるは子どもよ食物あるやかれにこたへけるはなし
耶穌かれらにいひけるは舟の右にあみをうたばうべしつひにうちて魚多によってひきあぐることあたはず
よって耶穌のいつくしむところのでしペテロにいひけるはこれ主なりシモン、ペテロ主なりとききてはだかなればうはぎにおびをしめて海にとびいりぬ
きしより遠からず五十間ばかりなればほかの門徒小舟にてあみのうををひいていたれり
きしにつけば炭火と又そのうへにのせたる魚と餅とをみたり
耶穌かれらにいひけるはいまとりしところの魚すこしもちきたれ
シモン、ペテロ舟にのぼり魚百五十三尾おほひなる魚にてみちたるあみをきしにひけりかくおほけれどもあみはやぶれざるなり
耶穌かれらにいひけるはきたりて食せよ門徒はたれもあへてかれになんぢはたれとたづぬることをなさずこれは主なりとしればなり
耶穌きたりて餅をとりかれらにあたへ魚もまたおなじくせり
耶穌よみがへりしのちおのれを門徒にあらはすことこれみたびめなり
さてかれら食してのち耶穌シモン、ペテロにいひけるはヨナの子シモンよこれらよりなんぢわれをいつくしむやかれにいひけるは主しかりわが主をいつくしむことをしりたまふ耶穌かれにいひけるはわが羔を牧よ
またふたたびかれにいひけるはヨナの子シモンよわれをいつくしむやかれにいひけるは主しかりわが主をいつくしむことをしりたまふ耶穌かれにいひけるはわが羊を牧よ
みたびかれにいひけるはヨナの子シモンよわれをいつくしむやペテロみたびわれをいつくしむやといはれしによりてうれひ耶穌にいひけるは主よしらざるところなくわが主をいつくしむことをしりたまふ耶穌かれにいひけるはわが羊を牧よ
まことにまことになんぢにつげんいとけなきときおのれに帶してこころにかなふところにあるきぬ老たるとき手をのべて人なんぢを帶してこころにかなはざるところにひかん
これをいひしはいかなる死にて神をあがめんとしめされりかくいひてかれにいひけるはわれにしたがへよ
ペテロふりむいて耶穌のいつくしむところの門徒したがひしをみるこは食するとき耶穌のむねによりて主をわたすものはたれぞやといひし門徒なり
ペテロこれをみて耶穌にいひけるは主やこの人をいかにせん
耶穌かれにいひけるはもしわがきたるまでにわれかれのまつことをおもへばなんぢになんのかかはることあらんやなんぢはわれにしたがへよ
そのでしは死なずといひしこと兄弟のうちに出されども耶穌ペテロにかれは死なずといはずただもしわがきたるまでもわれかれのまつことをおもへばなんぢになんのかかはることあらんやといひしなり
これらのことについて證をなしまたこれをしるせしものはこの門徒なりわれらそのあかしのまことなることをしれり
これらよりほかに耶穌のなせしことおほくありもしこれを一々しるされなばしるされたる書はこの世にだにものせつくすことあたはじとぞおもふ亞孟