哥林人前書叙言

(一)コリントの事 コリントはギリシヤ國の最も古き都會にして、ギリシア本土をペロポネズに繋げる極て狭き地峡の上に位し、稍海を離れたれども近く兩の港を有せり。其一はケンクライにして、東に在りてエゲエ海に通じ、他の一はレケオンにして、西に在りてイオニア海に通ず。コリントは斯の如く無比の好位置を占めたれば、東西貿易の盛大なる市場となりて人口繁衍し、雑種人の入込む事も多くして、風俗は大に頽廃したりき。キリスト降世前百四十六年に當り、ロマ人の為に一旦破壊せられしかど、又百年を経てセザル皇帝の為に再興せられ、皇帝の庇護に依りて程なく原の地位と富とを回復し、随ひて道徳の腐敗も亦舊の如く、遊蕩する事を諺に「コリントの如くす」と云ふ程になりしかど、アカヤ州の都として啻に商業のみならず、文芸、學術、共に隆盛にして、シセロをして、此地を指して「全世界の燈台」と稱せしむるに至れり。

(二)コリント教會とパウロとの関係 始めてコリントにキリスト教を宣布せしは實にパウロにして、彼は其傳道旅行の第三回目に此處に至り、使徒行録第十八章に記せる如く、先ユデア人の中に布教したるに、改宗せし者も少しはありしかど、多くは其教に抵抗せしかば、パウロ此度は異邦人に向ひて布教しけるに、之に随ふ者の中には上流社會の人も無きに非ざりしかど、最初信者となりしは概ね下流社會の人なりき。パウロの滞在は一年半許なりしが、其出立の後もコリント教會は着々として發展せり。是には、原アレクサンドリアのユデア人にして、エフェゾに於てキリスト教に歸依せし、アポルロと云へる布教者の奮發と雄弁と、與りて大いに力ありき。然れどパウロの勢力の影響も、後には次第に薄らぎ行きて、コリント一般の道徳腐敗すると共に、教會にも種々の弊害生ぜしかば、パウロ之が為に一の書簡を認め、有罪者と絶交せざる事を咎めたりしが、其書簡は今失せて存せず。

(三)コリント前書の由來 彼書簡を贈りし後幾許ならずして、パウロはクロヱと云へる婦人の家人より、コリント教會の中に争論分裂の起りし事、及び信者の中に甚しき惡例を示せる人ある由を聞きしが、一方には又漸次、信者が訴訟の仲裁を信者相互の間に仰がずして、世の裁判に提出する風を生じ、又婦人の身のありながら教會の中に於て、その覆布を脱ぎて公然説教する者あり、聖體拝領の時に催す愛餐、精霊より信徒に賜はる賜に就きても亦弊害を醸し、尚又復活に就きて種々の疑惑謬説起りしかば、信者の中には、書簡を以てパウロに種々の事を問ひ來る者あり、別て婚姻、童貞の身分、偶像の供物を食する事などに就きて疑を質し來りければ、其問へる所、パウロの聞きし所などが、本書を認むる機會とはなりしなり。然れば、本書の目的は、教會の分裂を防止し、聞及べる種々の弊害を矯正し、教理上の疑を解き、又最有益なる實用的訓戒を與ふるに在るなり。本書を認めし地は無論エフェソにて時代は紀元五十七年ならん。

(四)本書の題目、文章及び区分 本書は、すでに云へる如く種々の釈柄より成立ちたるものなれば、ロマ書ガラチア書の如く単に或る一問題を論ぜずして、種々の實用的訓戒に渉れり。故に其思想の異なるに應じて文章も亦異なり、其説く所、時として尋常の訓戒の如くなるも、時としては非常なる熱誠を顕して、熱愛、憤怒、嘲罵の色を示す事なきに非ず。

主なる区分を云へば、先コリント信徒に例の挨拶を為して後、其分裂を論じ(一章十節、乃至四章廿一節)、次にコリント信徒の社會的生活に就きて訓戒を與え、先一信徒の不品行(五章一節乃至十三節)、信者間の訴訟(六章一節乃至十一節)、私通の罪(六章十二節乃至廿節)、婚姻及童貞生活に就きての意見(七章一節乃至四十節)、偶像の供物の事(八章一節乃至十一節)を述べ、次に祭典に関する三の問題を説く、第一婦人の覆布(十一章二節乃至十六節)、第二聖體に對する紊亂(十二章十七節乃至卅四節)、第三霊的賜(十二章一節乃至十四章四十節)、終に教理に関する問題、即ち死者の復活を論ず(十五章一節乃至五十八節)。第十六章は結末にして、種々の傳言、勧告、挨拶等を含めり。

(五)本書の効益 本書は教會初代の状態を知らんとする者に最有益なるのみならず、中に含まるる訓戒、就中人智を重んずるの幣を説き、社會に於る交際の方法に就きて、教を垂れ、信仰の重なる箇条に就きて自説を重んずる傾向を矯正したる辺、殊に傾聴すべきものあり、又教理上の疑を究むる點に於ても今猶大いに益ある。