哥林人後書叙言

(一)本書を認めし機會及び目的。 使徒パウロ既に前書簡をコリントに贈りて後、弟子チトを遣はして其書簡を以てせる譴責の結果如何を窺はしめ、自らはトロアデに至りしが、豫ては此處にてチトに出會ひ、コリント教會の現状を聞く筈なりしにも拘はらず、チトの此處に來らざるにより、パウロは氣遣の餘り、或は前書簡が却てコリント人の心を害ひし事なきか、争亂を増加せしめし事なきかを虞れ、トロアデに往けり。是等の事は本書の第二章十三節等に據りて知らる。 チトが此處にでパウロに面會し、コリントの消息を傳ふると共に、己が受けし歓迎、前書簡によりて多數のコリント人が懐ける改心、彼等がパウロに對する愛慕、近親相婚者もパウロの處置に由りて悔悛めし事等の喜ばしき報知、又ユデア教主義の人々がパウロの奮励を憤りて妄に其動作を謗り、其軽率と傲慢とを訴ふる事、并にエルザレムの信徒に對する醵金の準備を未だ終へざる事等の遺憾に耐へざる談を為ししかば、パウロは更に此書簡を認むるに至りしなり。本書は斯る機會に由りて認めしを以て、喜悲の調子自ら文字の上に顕れ、パウロの衷心紙表に躍然たり。 本書の目的は第十三章十節に見ゆ、即ち己程なくコリントに往くべきを以て、其に先ちてコリント人を感化せしめ、原の懇親を温めて聊も心に曇なからしめ、以て彼等の救霊の為に障碍なく再び働く事を得んとするに在り。然れば前書簡の言を稍和げて、専ら父たるの愛を顕せり。然りながら教敵たるユデア教主義の人々は、濫にパウロの名誉及び使徒たるの権利を失はしめんと力むるに由り、パウロは彼等の假面を剥ぎ、己が動作を弁護して、独り己の為のみならず、キリスト教其者をして害を免れしめん為に、己が身上の事を語れリ。

(二)本書の題目及び区分。 以上述べし如く、コリント後書は専らパウロ自身の弁護に係るものにして、他の事柄を述ぶるも其は畢竟枝葉に属するを以て、ロマ書ガラチア書エフェソ書に在る如き教理的の論を載せず、又コリント前書に於ける如き倫理に関する實用的教訓をも述べず、唯パウロの心専ら行文の間に顕れ、其外面的生活及び霊的生活に就きて最も興味ある事柄多し。 パウロは本書を認めし時、既に喜ばしき報知を受けたりしも、猶ユデア教主義の人々と其卑劣なる挙動とに就きて悲観せしものの如く、悲しき調子は全篇を掩へり。之を他の書簡に比するに、テサロニケ前後書には専ら希望を顕し、フィリッピ書には喜びを顕し、ロマ書には信仰を勧め、エフェソ書には天の事を述べたるに對して、悲哀はコリント後書の特色なるが如し。 本書は思想畳積せるを以て、区分を判然たらしむる事困難なれども、重なる部分は明かなり。即ち前に書簡的冒頭を置き(一章一節乃至十一節)、第一にはパウロ己が氣質及び使徒としての動作を弁護すると同時に、懇々たる勧、及びコリント教會に於る前書簡の影響を述べ(一章十二節乃至七章十六節)、第二には慈善の勧を為し、エルザレムの信徒の為に豊かなる施を促し、寛仁なる心の功徳を述べ(八章一節乃至九章十五節)、第三には初の如く主として己が身に係る事を述ぶれど、特に不法なる敵に對して、使徒的権利を保持する事を努め、(十章一節乃至十二章十八節)、尚簡単なる忠告と例の挨拶とを以て本書を結べり(十二章十九節乃至十三章十三節)。

(三)本書を認めし處及び年代。 前書はエフェソに於て認めしものなるが、後書はエフェソを去りて暫くトロアデに留り、マケドニア國に至りし時に認めしなり。但古代の寫本に記されたる如く、或はフィリッピなりしならんか。年代は前書は紀元五十七年の春なりしが、後書は恐らくは數月の後にして、夏の頃なりしならん。