加拉太書叙言

(一)ガラチアの事。 ガラチアは小アジアの一小國にして、基督紀元前二百七十八年、ピチニア國王ニコデモ、ゴウル(今の仏國)地方より來れる軍族に、嘗て戰役の時助けられし報酬として此小國を譲れり。爾來國勢次第に膨張したりしが、度々の戰役の末、キリスト紀元前廿五年に當りて、ロマ帝國に編入せられたり。

(二)ガラチア教會とパウロとの関係。 使徒行録十六章に據れば、パウロは其第二回傳道旅行の時、ガラチアに至りて布教せしが、異邦人なる此處の人民は、パウロを神の如くに歓迎し、程なく盛なる教會全國に設立せられたり。斯て三年を経て、第三回傳道旅行の時、パウロ再びガラチア信徒を訪問して、其信仰を堅むる事に努めたり。

(三)本書を認めし機會及び目的。 パウロがガラチアを去るや、ユデア教主義の人々、彼盛なる教會に入込みて、種々の謬説を流行せしめ、大いに人心を擾亂したり。殊に、パウロは異邦人に布教するに、人の救はるるはキリストを信仰するに在る事を以てせしに、彼人々は之に反して、尚舊約の法則を遵奉して割禮を受くべき事等を教え、且パウロの権力を蔑如して、彼が眞の使徒に非ざる事、其教ふる所はペトロ、ヤコボ、ヨハネ以下他の使徒等の教と大いに異なる事等を主張せしを以て、生來變心し易きガラチア人は、大いに之に迷はされしかば、パウロは之を聞きて、速に本書を遣る事を必要とせしなり。 然ば本書の目的は、彼人々の得たりし勢力を挫き、彼等に駁せられし教理に就きて確乎たる根底を示すに在り。随つて己が使徒たる資格を保證し、人の救はるるは舊約の掟によらずキリストに於る信仰による事、及びキリスト信者はモイゼの律法に對して自由なる事を證するを旨とせり。

(四)本書の題目及び区分。 本書の題目は、曰くユデア教の法とキリスト教の法とは相容れざるものなり。曰く律法を以て、詛を招きしに反し、キリストに於る信仰を以て神の祝福を受くべし。曰く割禮とイエズスの十字架と孰をか択むべき。是本書の重なる題目なるが如し。 本書は凡分ちて三篇とす。例の挨拶の後(一章一節乃至十節)、第一篇には、パウロが實にキリストの使徒にして、直接に此聖役に任ぜられ、其全権は異論なく他の使徒等に認められたる事を述べ(一章十一節乃至二章)、第二篇には舊約の律法と福音とを比較して、信仰によりて義とせらるる事、及び信者は律法に関して自由なる事を證し(三章四章)、第三篇には此聖なる自由によらん事をガラチア人に勧め、其自由の徳及び方法を示し、尚數個の教訓を與え(五章一節乃至六章十節)、末文に於て更に教理上の論證を掲げ、例の祝祷を以て了る(六章十一節以下)。

(五)本書の特色。 本書はパウロの他の書簡と異なりて、一箇所の教會若くは一個人に宛てず、ガラチア國の諸教會に宛てたるものなり。 教理に就きて延ぶる所は、粗ロマ書の題目と似たるを以て、其論ずる所も粗相似たり。唯ロマ書の文は客観的にして、穏に之を敷衍したるに、本書は主観的にして論難の調子を有し、且行文簡潔なり。然れば自ら解し難き所なきに非ず。且パウロ自身に就きて弁駁する所は、粗コリント後書に似たるものありて、其勢、其敵に對する憤、信徒に對する親愛の情、自己の生活に係る事項等は最も能く相似たり。 本書の殊に重要なる事は、其本題によりて知るべし、即ちキリスト教に於る自由の大法例とも稱せられたるものなり。

(六)本書を認めし年代と場所。 年代に就きては從來種々の論あれども、パウロの第三回傳道旅行の後なれば、凡紀元五十五年若くは五十六年ならん。或寫本には認めし場所をロマと記したれど、それは無根の説にしてエフェゾに於て認めしなるべし。