羅馬書叙言

(一)ロマ教會の事。ロマ帝國の都に如何なる使徒が先布教せしかは、聖書に明かならざれども、使徒行録二十に據れば、聖霊降臨の時聖ペトロの説教を聞ける人々の中にロマ人有りき。されば其人々を始め、其他都に上れるユデア人、及びキリスト信者が教會の基礎と成りしこと疑なし。聖ペトロが、クロウヂオ皇帝の第二年、即ち紀元四十二年或は四十三年に當り、自らロマに至りて其教會を設立し、ロマ教座の基礎を固めし事は、教會初代の聖イグナシオ及び聖イレネオの著書にも見え歴史家ユゼビオ及び聖エロニモも證明したる古傳説にも見ゆ。
ロマ教會成立の初は、其信者は大概ユデア人なりしに、軈て異邦人も此に感化せられて、其多數を占むるに至りたれども、原ユデア教に属せし人々は、尚モイセの律法を守るべき事を主張したりしかば、聖パウロは、其教會に從來関係を有せざりしにも拘はらず、異邦人の使徒として之に書簡を贈り、人の義とせらるるはモイセの律法を實行するに由らずして、救霊の福音及び信仰に由る事を述ぶるを必要とせしなり。

(二)題目及び区分。本書の主題は明らかに一章十六節十七節に記せる如く、福音を信ずる事がユデア人にも異邦人にも救霊を得べき道なる事を示し、信仰の必要を提示するに在りて、救霊はキリストが萬民の為に設け給へる所にして、独りユデア人のみならず異邦人も亦之を得べく、之を得る道はユデア教の業に非ずしてキリスト教に於る信仰なる事を論ず。 然て之を区分すれば、初に重々しき挨拶ありて、(一章一節乃至十七節)本文は先づ義とせらるる教理に就きて述ぶ、(一章十八節乃至十一章卅六節)更に之を細分すれば其第一は殊に義とせらるる必要及び性質、(一章十八節乃至五章廿五節)第二は是より起る修身上の結果、(六章乃至八章) 第三は救霊に関するユデア人の一致を説き、(九章乃至十一章)次に倫理の事を述べ、信仰に從ひて生活する道を教へ、(十二章乃至十五章十三節)尚パウロ自身に関する種々の事を掲げ、(十五章十四節乃至十六章廿三節)終に臨みて重々しき末文あり。(十六章廿四節乃至廿七節)

(三)本書の特色。ロマ書はパウロの書簡中最も肝要なるものなり。 即ち書簡としてよりは寧一部の神學書として観るべく、パウロの教の綱領を略述せるものの如し。 偶像教の原因及び結果、ユデア教の意味、及び将來に於るキリスト教との関係、罪及びその惡果、第一第二アダン相互の比較、又は人類に對する関係等最も趣味ある事を述べ行文、暢達穏健にして所論の力あるは、特色の最も著しきものなり。

(四)本書を認めし處及び年代。處はコリント、年代は聖パウロの第三傳道旅行中にして、凡そ紀元五十九年の始めなるべし。